東京高等裁判所 昭和28年(を)4号の3 判決
第一、事件名及び被告人の氏名、職業、年令
事件名 被告人の職業、氏名、生年月日山林ブローカー元岡組経営者岡直樹こと
贈賄 富永直樹
明治二十八年六月十五日生
会社取締役、元衆議院議員
贈賄 川橋豊治郎
明治十六年十二月十日生
会社取締役、監査役、元衆議院議員
贈賄 綾部健太郎
明治二十三年九月六日生
会社取締役
収賄、同幇助 下河辺三史
明治四十四年十月十六日生
著述業、衆議院議員
収賄、公正証書原本不実記載、同行使 芦田均
明治二十年十一月十五日生
第二、判決主文
被告人らはいずれも無罪
第三、判決理由の要点
一、昭和二十二年十一月十一日頃富永被告人及び川橋被告人が元相被告人北浦圭太郎と共謀して国務大臣、外務大臣兼終戦連絡中央事務局総裁、特別調達庁の主務大臣である芦田被告人に現金百万円を贈賄し、芦田被告人が外務大臣秘書官たる下河辺被告人を介しこれを受領して収賄したとの公訴事実に対する判断
右現金百万円は、贈与者側たる富永及び川橋両被告人、北浦らからは、政府支払促進及び融資についての芦田被告人の紹介行為に対する謝礼及び今後も同様の尽力を得たい希望の趣旨を含めた政治資金として下河辺被告人を通じて贈与されたものであるが、右金員の贈与は芦田被告人の国務大臣、外務大臣兼終戦連絡中央事務局総裁、特別調達庁の主務大臣としての各職務に関係がなく、また、これらの職務と密接な関係もなく、芦田被告人も右金員を単なる政治献金として受領し、下河辺被告人も同様単なる政治献金としてこれを取り次いだに過ぎない。
従つて、富永、川橋両被告人の右行為は結局贈賄罪を構成せず、芦田、下河辺両被告人の右行為も、収賄罪又は収賄幇助罪を構成しないから、右公訴事実に関しては、右被告人らは無罪である。
二、昭和二十三年三月中旬頃富永被告人が元外務大臣秘書官で当時総理大臣秘書官であつた下河辺被告人に対し、洋服生地一着分を贈賄し、下河辺被告人がこれを収賄したとの公訴事実に対する判断
右洋服生地は、富永被告人から下河辺被告人の総理大臣秘書官就任祝として贈与されたもので、儀礼的なものと認められ、下河辺被告人の外務大臣秘書官としての職務とは無関係であり、従つて、右各行為は、贈収賄罪を構成せず、右公訴事実に関しても、右被告人らは無罪である。
三、昭和二十二年十二月頃綾部被告人が当時民主党の代議士であつた元原審相被告人梅林時雄と共謀の上、前同様国務大臣等の地位にあつた芦田被告人に現金五十万円を贈賄し、芦田被告人がこれを収賄したとの公訴事実及び昭和二十三年二月頃芦田被告人が右梅林時雄から現金五十万円を収賄したとの公訴事実に対する判断
右昭和二十二年十二月の現金五十万円は、民主党の代議士であつた原審相被告人梅林時雄が芦田被告人の平素の知遇にこたえると共に自己の政治上の地位向上、確保に資するため、綾部被告人と相談して当時民主党総裁であつた芦田被告人が九州における同党の各大会に出席するための費用等の一部として政治献金をし、芦田被告人も単なる政治献金としてこれを受領したものであり、右昭和二十三年二月の現金五十万円は、梅林が同様に芦田被告人の平素の知遇にこたえると共に自己の政治上の地位の向上、確保に資するため、芦田内閣実現のための政治献金として単独で出捐したものであり、芦田被告人も単なる政治献金としてこれを受領したものであると認められるからいずれも贈収賄罪を構成せず、右各公訴事実に関しては綾部、芦田両被告人は、無罪である。
四、昭和二十一年三月頃芦田被告人がさきに買い受けた土地建物の所有権移転登記申請をするにあたり、鉄道工業株式会社取締役会長菅原通済らに依頼、相談して買主を鉄道工業名義とする虚偽の申請手続をし、登記簿原本に不実記載をなさしめ、この登記簿を登記所に備え付けさせて行使したとの公訴事実に対する判断
特定物の売買契約においては、原則として、目的物の所有権は売買契約と同時に買主に移転するものと解されているが、芦田被告人は右不動産を買い受ける約束をした当時、不動産の所有権はその登記名義が自分の名義に書き換えられなければ自分に移転しないものと思つており、登記申請をするときになつて、登記申請をして自分が所有権を取得するとなると、鉄道工業からの借受金を支払い、公租、公課や登記費用を負担するほか、財産税の納付もしなければならないので、右一切の財産的負担を免れ、かつ、政治生活をしている間、本件不動産を利用できれば所有権を取得しなくてもよい、それには、買主の地位を自分から鉄道工業に変更すれば足るのであるから、売主、自分及び鉄道工業が協議して売主から直接鉄道工業を買主として所有権移転登記手続をすれば自分が所有者にならずに済むと考えたが、自分の考えを鉄道工業の会長菅原通済や下河辺被告人らに伝えるにあたり、簡単に鉄道工業の方で買つておいてもらいたいとか、鉄道工業の方で買つてもらうことにしたからとか話したに過ぎなかつたので、菅原通済や下河辺被告人らは右芦田被告人の真意を解せず、所有権は依然として芦田被告人が留保しているものと解しながら、鉄道工業が買主として直接売主から所有権を取得した旨の登記手続を完了したのである。それ故右登記申請が虚偽であり、その登記は不実であるといわなければならないが、芦田被告人としては、菅原通済らが自己の真意を誤解したことを知らず、右登記申請手続は自分の考えどおり完了し、右登記申請は事実に符合し、違法あるいは不当のものではないと信じていたことが認められるのであつて、その誤信は芦田被告人が本件不動産の所有権帰属に関する民事法規の解釈を誤つたことによるものであり、非刑罰法規の解釈の誤として、いわゆる事実の錯誤に該当し、本件公正証書原本不実記載同行使罪の故意を阻却するので、右公訴事実に関しても、芦田被告人の行為は犯罪を構成せず、同被告人は無罪である。
第一章 公訴事実の要旨≪省略≫
第二章 被告人芦田均の職務権限
芦田被告人が公訴事実に示されたように衆議院議員であつて、昭和二十二年六月一日外務大臣に任ぜられ、かつ、内閣法第九条に基きいわゆる副総理として臨時に内閣総理大臣の職務を行うものとしての指定を受け、昭和二十三年三月十日まで在任し、その間、昭和二十二年六月一日から昭和二十三年一月三十一日までは終戦連絡中央事務局総裁を兼ねるに至つたこと並びに昭和二十二年五月十日特別調達庁法が施行され、芦田被告人が右外務大臣就任により特別調達庁の主務大臣となつたこと及び同庁が同年九月一日からその業務を開始するに至つたことは、同被告人及び証人横田広吉の当公廷における各供述並びに特別調達庁法及び同法施行令の各関係規定を総合して認められるのであるが、公訴事実においては、芦田被告人が、国務大臣、終戦連絡中央事務局総裁及び特別調達庁の主務大臣としての職務に関し、収賄したものとなつているから、これらの地位における同被告人の職務権限の内容について判断することとする。
第一節 国務大臣としての職務権限
第一総説
憲法は、国務大臣の職務権限については、直接に規定せず、内閣に関する章のうちに、内閣総理大臣及びその他の国務大臣をもつて内閣を組織することを規定しているに過ぎないのであるから、まず、内閣の組織及び職権について論じた上、国務大臣の職務権限に及ぶこととする。
(一) 行政権の主体
憲法第六十五条は、「行政権は、内閣に属する。」と規定しているのであつて、立法に関する憲法第四十一条の「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。」との規定や、司法に関する憲法第七十六条第一項の「すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。」との規定のように、「唯一の」又は「すべて」なる語を用いていないから、憲法第六十五条は、内閣が原則として行政権の主体であることを示したに止まり、行政権がすべて内閣に属することを表わしたものではないと解しなければならない。従つて、行政事務のうちでも、性質上内閣が行うに適しない特殊の事務については、憲法第九十条に規定する会計検査院のように、憲法自身の規定により、内閣から独立した行政機関を設けてこれを行わせることもでき、国家公務員法第二章に規定する人事院のように、法律の定めるところによつても、内閣所轄の行政機関にこれを行わせることもできるものである。そして、このように憲法又は法律により他の機関が内閣から独立して行う特殊の行政事務以外の行政事務は、内閣が行政権の最高機関としてこれを主宰するものであるが、これとても、内閣は、すべてこれを自ら行う必要があるものではなく、憲法又は法律によつて内閣が自ら行うことを要するものを除き、他は、下部行政機関に行わせることも差支ないのであつて、要は、内閣が下部行政機関を統轄すれば足りるものと解せられるのである。
(二) 内閣の組織
憲法第六十六条第一項は、「内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。」と規定し、内閣法第二条第一項及び第三条によれば、内閣は、首長たる内閣総理大臣並びに各省大臣及びその他の定数以内の国務大臣で組織され、各国務大臣は、いわゆる無任所大臣を除いては、別に法律の定めるところにより、主任の大臣として行政事務を分担管理するものであることが明らかである、このように、内閣の下で主任の大臣の管理のもとに行政事務を分掌する行政各部に関する基本的な法律としては、憲法施行と同時に、行政官庁法が施行され、昭和二十四年六月一日からは国家行政組織法がこれに代つた。そして、右行政各部たる各省、各庁に関する法規としては、憲法施行と同時に行政官庁法に基いて、従前から存する各省、各庁の官制が存続したほか、昭和二十二年五月三日政令第三号総理庁官制が制定施行され、同年同月同日政令第四号による各省官制通則等の廃止規定から除外された同通則中各省の大臣官房に関する規定が存続したが、昭和二十四年六月一日までの間にこれらに代つて漸次各省、各庁の設置法が制定施行されるに至つたのである。
(三) 内閣の職権
以上(一)及び(二)を総合すると、行政権のうちから(一)に記載したように憲法又は法律によつて他の機関が内閣から独立して行うものを除けば、その他は、内閣及びその統轄する行政機関がこれを行うものであつて、このうちには、内閣が自ら行う行政事務と内閣の統轄の下に各主任の大臣が管理する行政各部が分掌する行政事務とがあるのであつて、内閣の職権には、このように自ら直接に具体的な行政事務を行う職権と行政事務を分掌する行政各部を統轄する職権とが存するものということができる。
そして、内閣法第一条は、「内閣は、日本国憲法第七十三条その他日本国憲法に定める職権を行う。」と規定し、憲法第七十三条は、「内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。」と規定して、第一号乃至第七号の事務を列挙しているから、この憲法第七十三条第一号乃至第七号の事務及び憲法のその他の規定中に内閣の職権として定められている事務が内閣の職権に属することはいうまでもないが、このほかにも、日本銀行法第十三条ノ四第三項、第十六条第一項、日本国有鉄道法第十九条第一項、第二十二条第一項、第二十二条の二第一項、電源開発促進法第二十条、国民金融公庫法第十三条第一項等法律によつて内閣の職権と定められている行政事務も幾多存するのであつて、これらは、憲法によつて具体的に内閣の職権と定められているものではないが、憲法第七十三条に内閣の行うべき事務として規定する「他の一般行政事務」のうちに含まれるものということができる。
そして、内閣の職権には、さきに判断したように、自ら直接に具体的な行政事務を行う職権と、内閣の下において行政事務を分掌する行政各部を統轄する職権とが存するのであつて、後者については、憲法第七十三条第一号後段及び第七十二条並びに内閣法第六条及び第八条の各規定によれば、内閣は、行政各部の分掌する行政事務についても、方針を定めて、これに基いて行政各部を指揮監督することができるのであり、これによつて内閣は行政各部を統轄するものと解せられるのである。
(四) 閣議及び国務大臣の職務権限
内閣法第四条第一項は、「内閣がその職権を行うのは、閣議によるものとする。」と規定しているから、閣議にかけられる事項は、右に判断した内閣の職権に属する事項に対応するものといわなければならない。また、同法第四条第二項及び第三項は、閣議は、内閣総理大臣がこれを主宰し各国務大臣は、案件の如何を問わず、内閣総理大臣に提出して閣議を求めることができる旨を規定しているのであるから、内閣は、内閣総理大臣が主宰する閣議によつてその職権を行う国務大臣による合議体であつて、各国務大臣の職務権限は、内閣の職権に属する行政事務について審議、決定する閣議に参加することにあるということができるのであり、各国務大臣は、内閣の職権に属する行政事務について、閣議を求め、また、閣議における審議、決定に関与する職務権限を有するものといわなければならない。ただ、さきにも判断したように、内閣は、憲法又は法律によつて他の機関が内閣から独立して行う行政事務を除き、行政権の最高機関としてすべての行政事務を主宰し、下部行政機関を統轄するものであるから、内閣の職権の行使は、かかる内閣の使命達成のためになさるべきものである。従つて憲法又は法律によつて具体的に内閣の職権として定められているものについては、内閣自らこれを行うことを要するものであるから、各国務大臣は、これについて、閣議を求め、また、閣議における審議、決定に関与する職務権限を有することは、もとより論議の余地はないが、その他の各主任の大臣が管理する行政各部において分掌する行政事務についても、各国務大臣は、内閣全体としてその処理の方針を決するを相当とする場合において、閣議を求め、また、閣議における審議、決定に関与する職務権限を有するものといわなければならない。そして、この閣議にかけることの要否即ち右にいう内閣全体として処理の方針を決するを相当とするか否かの判断は、ひとえに、当該国務大臣の裁量に委ねられたものであつて、国務大臣は、かかる行政各部が分掌するいかなる行政事務についても、内閣全体として処理の方針を決するのを相当とすると判断したときは、その主観的判断に基き、これについて、自由に閣議を求め、また、閣議における審議、決定に関与することができるものと解しなければならないのであつて、客観的基準によつてかかる国務大臣の裁量を制約すべきものと解することは許されないところである。内閣法第四条第三項が、「各大臣は、案件の如何を問わず、内閣総理大臣に提出して、閣議を求めることができる。」と規定しているのは、文理上、かかる趣旨を表わしたものと解せられるのであり、また、憲法第六十六条第三項は、「内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。」と規定していて、内閣は、個々の大臣のいかなる行政上の行為についても、国会に対し連帯して責任を負うものであるから、国務大臣の職務権限について、右のように解すべきことは当然である。
富永、川橋、芦田各被告人の弁護人らは、かかる行政各部の分掌する行政事務については、特に国の基本的施策、、根本方針に関連し、あるいは行政各部の統一を確保する必要のあるものに限つて、これを閣議にかけることができるものであつて、客観的にこのような条件が具備されていないものは、これを閣議にかけることはできないものであると主張するけれども、かかる主張の採用し得ないことは、以上の判断に徴し、明らかである。
第二国務大臣としての各個の職務権限
芦田被告人に関する本件公訴事実には、同被告人が国務大臣として、政府支払の財源たる予算案、政府支払に関する方針その他内閣の職権に属する事項に関し審議決定する等の職務を有したものとされているから、以下順次これについて論及する。
(一) 政府支払の財源たる予算案の審議決定権について
憲法第七十三条第五号、第八十六条、内閣法第五条及び財政法第二十九条の各規定によれば、本予算案の作成及び追加予算案、予算の修正案、両者を包含するいわゆる補正予算案の各作成が内閣の職権に属することは明らかであるから、国務大臣は、政府支払の財源たる以上すべての予算案の作成に関して、閣議を求め、また、閣議における審議、決定に関与する職務権限を有するものといわなければならない。
(二) 政府支払に関する方針の審議決定権について
会計法第十条の規定によれば、政府支払の事務は、財政法第二十条第二項に規定する各省各庁の長の管理するものであることは明らかであるが、さきに判断したように、内閣は、行政各部の分掌するいかなる行政事務についても、方針を定めることができるものであるから、政府支払に関する方針を定めることも、内閣の職権に属することはいうまでもない。従つて、国務大臣は、政府支払に関する方針を定めることについて、閣議を求め、また、閣議における審議、決定に関与する職務権限を有するものといわなければならない。
(三) その他内閣の職権に属する事項に関し審議、決定する等の職務権限について
(1) 個別事項に関する権限
検事は、国務大臣は、具体的、個別的な事項についても、閣議を求め、また、閣議における審議、決定に関与する職務権限を有する旨主張するから、この点について判断する。
具体的、個別的な事項であつても、内閣自身が直接これを行うべきことが憲法又は法律によつて定められているものについては、疑問の余地はなく、行政各部が分掌する行政事務についても、内閣は、その処理の方針を定める職権を有するものであるから、その事務が具体的、個別的なものであつても、国務大臣は、内閣全体として処理の方針を決するを相当とすると判断したときは、その方針決定について、自由に、閣議を求め、また、閣議における審議、決定に関与する職務権限を有するものといわなければならない。この点における検事の主張は、正当である。
(2) 行政各部及び金融機関に対する指揮監督に関する権限
検事の主張するところは、各国務大臣は、閣議を行う内閣の構成員として、内閣の指揮監督下にある行政機関に対する指揮監督方針を発議、審議、決定することができ、内閣総理大臣は、右決定の方針に従つて、内閣を代表して、行政各部を指揮監督するものである。従つて、各国務大臣は、閣議を行う内閣の構成員たる資格においては、一定の条件のもとに、下部行政機関に対する指揮監督権を有するものであるが、これは、ひとり下部行政機関に対してのみ認められた権限ではなくて、内閣の指揮監督下にある金融機関に対しても、直接、間接認められたものということができる。たとえば、日本興業銀行法に基くかつての日本興業銀行は、同法第七条及び第十八条により、復興金融金庫法に基く復興金融金庫は、同法第十二条及び第二十八条により、政府又は主務大臣の監督を受けることとなつていたから、この監督は、政府の監督のものは直接に、主務大臣の監督のものは間接に、各国務大臣の職務権限に属するものである、それ故、国務大臣の一人が特定業者の請託に基き、その者に対する政府支払の促進を計るため、これを所管行政機関たる大蔵大臣や戦災復興院総裁に紹介することはもとより、その者に対する融資を計るため、右のような特殊金融機関の役職員に紹介することも、国務大臣の職務に直結し、又はこれと密接な関係のある行為であり、刑法第百九十七条にいう職務に関する行為であるというのである。
よつて、右検事の主張に対し、以下項を分つて判断する。
(イ) 下部行政機関に対する場合。
憲法第七十三条第一号後段、第七十二条及び内閣法第六条によれば、さきにも判断したように、内閣は、行政各部を統轄するため、行政各部の分掌する行政事務について、これを指揮監督する職権を有するものであつて、この職権は、内閣総理大臣が内閣を代表してこれを行うものであり、その方法は、閣議にかけて決定した方針に基いてなすものであることが明らかである。この点に関する個々の国務大臣の職務権限は、行政各部を指揮監督するための当該行政事務の処理方針を決する閣議を求め、また、かかる閣議における審議、決定に関与することにあるに過ぎない。従つて、個々の国務大臣が、この内閣の行政各部に対する指揮監督の職権によつて、特定業者に対する政府支払の促進を計ろうとするときは、当該特定業者に対する政府支払の促進の方針を決することについて閣議を求め、閣議においてこれを審議、決定せしめ、内閣を代表する内閣総理大臣により、右閣議で決定した方針に基いて、右政府支払の事務を担当する下部行政機関を指揮監督せしめるほかはないのであつて、かかる閣議の審議もなされないのに、主任の大臣でもない国務大臣が、直接に、所管行政機関たる大蔵大臣や戦災復興院総裁に右特定業者を紹介することは、国務大臣の職務に属しないことは、いうまでもない。また、右の場合において、担当行政機関たる大蔵大臣や戦災復興院総裁は、内閣の下部行政機関ではあるが、右国務大臣の部下ではない。そして右のような主任の大臣でない国務大臣の単なる紹介行為は、第三者的立場において被紹介者たる特定業者に相手方たる担当行政機関に面接する機会を与えるためになされるものであつて、右特定業者に右担当行政機関に陳情する糸口を得させるに止まるものであり、それ以上右特定業者に対する政府支払の促進に尽力する行為を含むものでもなく、右特定業者に対する政府支払の促進に関する指揮監督行為の実質を具えたものではないのはもとより、これに近いものということもできない。従つて、右国務大臣が自ら直接に右担当行政機関に右のような紹介をなすことが、国務大臣の職務と密接な関係のある行為であるとも、解することができない。それ故、右国務大臣の紹介行為は、刑法第百九十七条にいう職務に関する行為とはいえないのであつて、この点に関する検事の主張は、これを容認することができない。
(ロ) 特殊金融機関の役職員に対する場合
日本興業銀行法に基くかつての日本興業銀行、復興金融金庫法に基く復興金融金庫が検事の援用する右各法律の規定による政府又は主務大臣の監督を受けていたことは、右各規定により明らかである(しかし、右のような特殊金融機関が検事主張のような指揮を受けていたものとは解せられない)。そして、右各法律の規定による監督権の行使については、内閣が右政府の監督権を行使する場合には、閣議によるを要することはいうまでもなく、主務大臣が自己の監督権を行使する場合においても、内閣は、必要があれば、(イ)において論じたと同様に、右金融機関に対する監督について、閣議によつてその方針を決定し、その方針に基いて、内閣総理大臣が内閣を代表して右主務大臣を指揮監督して、右金融機関を監督せしめることができるのである。右各特殊金融機関に対する監督についての個々の国務大臣の職務権限は、以上のような閣議を求め、また、かかる閣議における審議、決定に関与することにあるに過ぎない。従つて、前記主務大臣ではなくまた、金融行政の主任の大臣でもない国務大臣が、特定業者に対する右特殊金融機関からの融資を計るため、右閣議の審議もなされないのに、自ら直接に、右特殊金融機関の役職員に右特定業者を紹介することは、(イ)において論じたと同様に、国務大臣の職務に属しないことは明らかである。また、右の場合において、右特殊金融機関は、内閣又は前記主務大臣の監督下にはあるが、右国務大臣の監督下にはない。そして、内閣又は右主務大臣の右特殊金融機関に対する監督権のうちに特定業者に対する融資の成立に関する指示を含むとは関係法令上解し得ないところである。右のような主務大臣でもなく、主任の大臣でもない国務大臣の単なる紹介行為は、被紹介者たる特定業者に相手方たる特殊金融機関の役職員に面接する機会を与えるためになされるものであつて、右特定業者に右特殊金融機関との間に融資について折衝に入る糸口を得させるに止まるものであり、それ以上融資の成立について尽力する行為を含むものではなく、右特殊金融機関の融資の決定に影響を及ぼす性質のものとは解せられないから、右特定業者に対する融資に関する監督行為の実質を具えたものでないのはもとより、これに近いものということもできない。従つて、右国務大臣が自ら直接に右特殊金融機関の役職員に右のような紹介をなすことが、国務大臣の職務と密接な関係のある行為であると解することができないことは、(イ)において論じたと同様である。それ故、右国務大臣の紹介行為は、刑法第百九十七条にいう職務に関する行為とはいえないのであつて、この点に関する検事の主張もこれを容認することができない。
第二節 終戦連絡中央事務局総裁としての職務権限及び特別調達庁の主務大臣としての職務権限
第一終戦連絡中央事務局総裁としての職務権限
終戦連絡事務局は、昭和二十年八月二十六日勅令第四九六号終戦連絡事務局官制(同日施行)に基いて設置された外務大臣の管理に属する官庁であつて、終戦連絡中央事務局及びその下部機関たる終戦連絡地方事務局より成るものである。右官制は、同年十月一日勅令第五五〇号(同日施行)によつて全面的に改正されたが、右に掲げた同庁の主任の大臣及び同庁の構成には変化はなく、更に、昭和二十一年二月二十八日勅令第一一三号(同年三月一日施行)による同官制の改正により、外務大臣は右中央事務局の総裁をも兼ねるに至つたものである。そして、同庁の所管事務については右官制には、右全面的改正の前後にわたり、用語に多少の差異があるとはいえ、単に、今次の戦争の終結に関し、連合国官憲との連絡に関する事務を掌る旨抽象的に規定されているに過ぎないのであつて、官制上は明確ではない。
そこで、
一、原審第十九回公判調書中証人中田政美及び同重田忠保の各供述記載
一、原審第二十二回公判証書中証人阿部美樹志の供述記載
一、原審第四十回公判調書中証人大橋武夫の供述記載
一、証人三浦文夫及び同藤原武の当公廷における各供述
一、原審公判記録全三七冊の七に綴られている被告人芦田均提出の上申書に添付された別添第一号の書面(以下別添第一号と略称する)の記載
一、押収にかかる横田広吉著「調達業務概要」と題する書籍(東京高等検察庁昭和二八年押第二号の(イ)の一五)中の記載
一、京都特別調達局より取寄にかかるP・D・KYTE第八〇六号岡組関係書類の謄本の記載
を総合とする、
連合国占領軍が日本に進駐した当初は、連合国官憲の要求する建造物、設備の営繕及び物資、役務等の調達に関する事務は、一切終戦連絡事務局で担当して来たが、昭和二十一年二月頃占領軍要員の家族用宿舎を大量に建設する必要が生じたため、昭和二十一年三月十九日勅令第一四九号戦災復興院特別建設部臨時設置制(同月二十日施行)に基き内閣総理大臣の管理に属する戦災復興院に特別建設部を設置し、右宿舎の建設工事(備品の調達を含む)に関する事務を管掌せしめたが、その後、ますます占領軍関係の建造物の需要が増大する勢にあつたので、同年十一月十三日勅令第五三八号戦災復興院特別建設局臨時設置制(同月十四日施行)に基き、前記特別建設部を特別建設局に昇格させてその機構を拡大強化すると同時に、前記宿舎建設工事(備品の調達を含む)に関する事務のほか、従来終戦連絡事務局において管掌していた兵舎建設工事の事務全部を戦災復興院特別建設局の所管に移したのであるから、終戦連絡事務局においては、その余の事務即ち既設建造物の維持管理及びこれに附随する物資の調達並びに役務の調達の事務のみを取り扱うこととなつたことが認められるのである。(但し、戦災復興院特別建設局の設置前に終戦連絡地方事務局が契約した建設関係の調達事務で、残務整理の都合上事務引継の困難なため、引き続き同地方事務局において処理することとなつたものを除く。以下同じ。)
検事は、終戦連絡事務局は、戦災復興院に特別建設部が設置され、続いて同部が特別建設局に昇格して、戦災復興院が設営に関する権限を順次取得、拡張したのちにおいても、依然設営に関する権限を保有し、建設関係の権限を失つたものではない旨主張するけれども、前記各証拠に徴すれば、右主張は、これを容認することができない。
検事は、更に、
終戦連絡事務局は、
(一) 終戦処理費の主務庁であり、この終戦処理費には、占領軍用建物の建設工事の費用も含まれているから、かかる建設工事に関する事務も終戦連絡中央事務局総裁の職務権限に属するものであり、
(二) 連合国官憲の発する調達要求書いわゆるP・Dを受理し、その内容について審査して、有権的解釈をなす権限を有するものであつて、P・Dを審査してこれを戦災復興院特別建設局に廻付したのちにおいても、右P・Dについての有権的解釈権を失つたものとはいえないから、かかるP・Dに関する事務は、依然終戦連絡中央事務局総裁の職務権限に属するか又はこれと密接な関係にある
旨主張するけれども、
右(一)については、
証人篠川正次の当公廷における供述及び大蔵省管理局財務第二課長小林章作成の昭和二十三年十二月二十八日付東京地方検察庁検事金沢清宛回答書の記載によれば、終戦連絡事務局は、設営工事の終戦処理費については、維持管理関係のみの主務庁であつたに止まり、建設関係には関与する権限を有しなかつたことが認められ、
右(二)については、
終戦連絡事務局が連合国官憲の発したP・Dを受理してその内容を審査し、その有権的解釈をなす権限を有していたことは、原審第十回公判調書中の芦田被告人の供述記載や前記別添第一号の記載により明らかであるが、
一、証人横田広吉、同篠川正次及び同石破二朗の当公廷における各供述
一、当審における証人大野健雄に対する訊問調書中同証人の供述記載
一、原審第十九回公判調書中証人中田政美の供述記載
一、原審第二十二回公判調書中証人阿部美樹志の供述記載
一、吉岡章の検事に対する昭和二十九年九月十一日付供述調書中同人の供述記載
を総合すれば、終戦連絡事務局がP・Dの内容を審査してその有権的解釈をなす権限を有するというのは、同庁が連合国官憲の日本政府に対する要求についての窓口ともいうべきものであつて、すべてのP・Dが同庁に集中するため、同庁においてそのP・D全部の内容を審査してその所管庁を決定する権限を有することがその主要なものであつて、同庁が連合国官憲から受理したP・Dの内容を審査の上、他庁の所管と判断してこれを他庁へ廻付したのちにおいては、その庁から右P・Dの内容について疑義があるものとして意見を求められた場合にのみ、その庁と協議して自庁の意見を述べることができるのであるが、右有権的解釈権は、右の範囲を出ないものであり、従つて、実際に建設関係のP・Dであつて、終戦連絡事務局がそのP・Dを審査の上戦災復興院特別建設局の所管と決してこれを同庁に廻付し、同庁もまた、自己の所管事務としてそのP・Dに示された調達事務を執つている場合には、終戦連絡事務局が依然そのP・Dの内容について有権的解釈権を有するからといつて、かかる調達事務の実施に関与する権限を有するものではなく、右調達事務の実施に影響を及ぼし得る地位にもなかつたことが認められるのであるから、右(一)及び(二)の検事の主張は、いずれも容認し得ないところである。
第二特別調達庁の主務大臣としての職務権限
特別調達庁が昭和二十二年四月二十六日法律第七八号特別調達庁法(同年五月十日施行)によつて設立された法人であることは、同法の規定に徴し明らかであり、その設立の目的が同年春連合国最高司令部の指示により連合国官憲の需要する占領軍関係の調達業務全般を一元的に処理する機関を創設するにあつたことは、後記認定のとおりである。そして、同法によれば、特別調達庁が行う業務については主務大臣が定められていることが明らかであるが、この主務大臣については、同法施行令第一条が事項別にこれを定めているのであつて、同法施行令第一条並びに同法第一条、第十五条及び第二十条の各規定によれば、外務大臣は、同庁の主務大臣として、他の主務大臣たる内閣総理大臣及び大蔵大臣とともに、同庁の行うべき業務の範囲を指定し、あるいは、同庁に対し監督上必要な命令をなし得ることが認められており、同法第一条第一項及び第十五条第一項の規定により、昭和二十二年八月二十三日総理庁外務省大蔵省告示第一号をもつて特別調達庁の行うべき業務の範囲が指定されたことは、同告示上明白であり、同庁が同年九月一日その業務を開始したことは、さきに認定したとおりである。
そこで、右三大臣が主務大臣とされている事項については、それぞれその事項の全般にわたつて主務大臣全部が共同してこれを行うものであるか否かを判断し、右主務大臣の一たる外務大臣である芦田被告人の職務権限の範囲を明らかにしなければならないのであるが、右法令には、特に、主務大臣が事務を共同して行うとも独立して行うとも規定してはいないのであるから、右法令の規定のみならず、当該事項の性質、右法令制定の経緯及び関係法規等について、慎重に考察しなければならない。
よつて、まず、
一、前記「第一終戦連絡中央事務局総裁としての職務権限」の項において認定した事実
一、証人横田広吉、同篠川正次及び同石破二朗の当公廷における各供述
一、当審第三十二回公判調書中証人山口要三郎の供述記載
一、当審における証人大野健雄に対する訊問調書中同証人の供述記載
一、原審第十九回公判調書中証人中田政美及び同重田忠保の各供述記載
一、原審第二十二回公判調書中証人阿部美樹志の供述記載
一、原審第四十回公判調書中証人大橋武夫の供述記載
一、前示被告人芦田均提出の上申書に添付された別添第二号の書面(以下別添第二号と略称する)の記載
一、昭和三十年七月十六日付「関係書類追送について」と題する書面によつて検事から追送された書類中「特別調達庁関係書類について」と題する書面添付の「中央連絡設営部より特別調達庁に移管すべき業務に関する件」と題する文書(写)の記載
一、前示横田広吉著「調達業務概要」と題する書籍中の記載
を総合すると、
連合国最高司令部(以下最高司令部と略称する)は、昭和二十二年三月頃日本政府に対し、連合国占領軍関係の工事及び物資、役務等の調達業務その他占領軍に関する一切の業務を一元的に処理するために半官半民の組織による特別の調達機関を至急設置するよう強力な指示をしたので、前示特別調達庁法が制定施行されて法人たる特別調達庁が設けられ、同年九月一日その業務を開始するに至つたものであるが、その業務開始に当つても、連合国側の意向に従い、連合国官憲よりの調達要求に基き、右業務開始の日の前日である昭和二十二年八月末日までに戦災復興院特別建設局又は地方庁がそれぞれその所管として関係業者と契約した調達業務は、依然同院特別建設局又は地方庁がそれぞれこれを取り扱い、また、同日までに終戦連絡事務局がその所管として取り扱つた調達業務は、引き続き終戦連絡事務局がこれを処理すべき旨の協定が関係官庁の間に成立し、そのように実行されたことが認められるのであつて、戦災復興院特別建設局は、戦災復興院特別建設局臨時設置制が昭和二十二年法律第二三八号内務省及び内務省の機構に関する勅令等を廃止する法律によつて同年十二月三十一日限り廃止されるまで存続し、また、終戦連絡事務局は、終戦連絡事務局官制が連絡調整事務局臨時設置法第十四条により昭和二十三年一月三十一日限り廃止されるまで存続したことは、右各法規上明らかなところである。
そして、前記列挙証拠によれば、戦災復興院特別建設局や終戦連絡事務局は、特別調達庁の業務開始後においても、なお従前の権限を失わなかつたものであるが、このようにこの両庁が従前の権限を失わなかつたのは、残務整理の必要によるものであつて、特別調達庁の業務開始の日である昭和二十二年九月一日以降同庁が契約した分の調達業務については、右両庁の権限は行使されなかつたことが認められるのであるが、ただ証人横田広吉、同篠川正次及び同石破二朗の当公廷における各供述、前示横田広吉著「調達業務概要」と題する書籍中の記載及び前掲別添第二号の記載を総合すれば、特別調達庁がその業務開始後自ら契約した調達業務についても、昭和二十二年中は、特別調達庁に支出官が置かれていなかつた関係上、従前より戦災復興院特別建設局の所管であつた業務に当るものについては同庁の支出官が、また、従前より終戦連絡事務局の所管であつた業務に当るものについては同庁の支出官が、それぞれ、右特別調達庁のなした契約に関する代金の支払をしていたものであつて、この支払事務は、特別調達庁法第三条の規定に基いてなされていたものであることが認められるのである。
そこで、以上の認定事実と、特別調達庁法、同法施行令、前示横田広吉著「調達業務概要」と題する書籍中の記載によつて認められる特別調達庁定款、前記昭和二十二年総理庁外務省大蔵省告示第一号、終戦連絡事務局官制、終戦連絡中央事務局分課規程、戦災復興院官制、戦災復興院特別建設部臨時設置制、戦災復興院特別建設局臨時設置制、戦災復興院特別建設局分課規程にそれぞれ現われた各規定、前掲別添第一号、第二号及び前示被告人芦田均提出の上申書に添付された別添第三号の書面(以下別添第三号と略称する)の各記載とを総合して考えると、特別調達庁法や特別調達庁定款等に内閣総理大臣、外務大臣及び大蔵大臣が主務大臣とされている事務については、必ずしも主務大臣全部が共同してこれに当ることを要する趣旨とは解せられないのであつて、かかる特別調達庁の事務のうち、その性質上各大臣単独の意思決定で処理することを得ないと解せられる定款の変更その他庁務全般にわたる不可分的な事務は、右三大臣を含む主務大臣全部の共同の意思決定を要するいわゆる共管事項に当るものであるけれども、その他は、各大臣が従来よりの主任事務の範囲内において権限を有するものと解せられ、連合国官憲の需により特別調達庁の行うべき業務のうち、設営工事中の建設関係の部分については、従来より戦災復興院に置かれた同院特別建設局の所管であるから、戦災復興院官制第一条により同院を管理する職権を有する内閣総理大臣がその主務大臣としての独立の権限を有し、右設営工事中維持管理関係の部分及びこれに附随する物資の調達並びに役務の調達については、従前より終戦連絡事務局の所管であるから、終戦連絡事務局官制第一条により同局を管理する職権を有する外務大臣がその主務大臣として独立の権限を有していたと認められるのであり、前記昭和二十二年総理庁外務省大蔵省告示第一号による業務指定も、その業務指定が三大臣の共管事項に当るがために共同してなされたものではなく、各別に独立してその所管業務について業務指定をなすことの煩を避けるため、便宜上共同して一括して指定したに過ぎないことが認められるのである。従つて、外務大臣たる資格において特別調達庁の主務大臣である芦田被告人は、同庁の他の主務大臣たる内閣総理大臣が独立の権限を有する同庁の行う建設工事については、なんらの権限を有しなかつたものといわなければならないのであつて、以上の認定を左右するに足る証拠はない。
なお、特別調達庁における主務大臣の権限の範囲に関する実務の取扱も右認定のように行われていたことは、
一、原審第十回公判調書中被告人芦田均の供述記載
一、原審第十九回公判調書中証人中田政美及び同重田忠保の各供述記載
一、原審第二十二回公判調書中証人阿部美樹志の供述記載
一、原審第二十八回公判調書中証人中村豊一の供述記載
一、原審第四十四回公判調書中証人大橋武夫の供述記載
を総合して明認されるところであるから、少くとも、当時芦田被告人が特別調達庁の行うべき調達業務についての自己の職務権限の範囲が、右実務の取扱のとおり、従前よりの終戦連絡事務局の所管業務に当るもの以外には出ないものと信じていたことは、充分に察知されるところである。
検事は、特別調達庁の主務大臣は、それぞれ他の主務大臣と共同してその業務全般を監督し、必要な命令をなす職務権限を有するものであつて、主務大臣の右職務権限についてはなんらの差別がないのであるから、右主務大臣の一人である芦田被告人の職務権限は、同庁が行う建設工事を含む調達業務全部に及ぶ旨主張するけれども、以上の認定に徴し、右主張は、容認し得ないものといわなければならない。
第三章 被告人富永直樹及び同川橋豊治郎が北浦圭太郎と共謀して被告人芦田均に金百万円を贈賄したとの公訴事実に関する判断
第一節 総説
本公訴事実中、被告人富永直樹が昭和二十二年十月頃連合国占領軍用床板納入代金の政府支払の促進又は融資の斡旋に関し、当時衆議院議員であつた被告人川橋豊治郎及び元相被告人北浦圭太郎の紹介により、外務大臣兼終戦連絡中央事務局総裁(以下終連総裁と略称する)であつた被告人芦田均に尽力を依頼したこと及び被告人富永直樹が同年十一月十一日東京都中央区新富町三丁目九番地岡組東京事務所において被告人下河辺三史に現金百万円を手交し、同被告人を介して、即日、同都港区芝白金台町外務大臣官邸において被告人芦田均にこれを贈与したことは、
一、被告人富永直樹、同川橋豊治郎、同下河辺三史、同芦田均及び元相被告人北浦圭太郎の当公廷における各供述
一、押収にかかる小切手帳控(前同押号の(ハ)の一五九〇の六)及び昭和二十二年十一月十一日付日建林産株式会社社長岡直樹振出三和銀行東京支店宛金額百万円の小切手一通(同押号の(ハ)の四〇二七)の各存在及び記載
を総合してこれを認めることができるから、以下順をおつて、その余の部分の真否について判断することとする。
第二節 右金員贈与の経緯
第一富永被告人が芦田被告人に依頼をなすに至つた事情
富永被告人が芦田被告人に右のような依頼をなすに至つた事情については、
一、被告人富永直樹、同川橋豊治郎、同芦田均、同下河辺三史及び元相被告人北浦圭太郎の当公廷における各供述
一、岡直樹に対する検事の昭和二十三年十一月十七日付聴取書中同人の供述記載
一、川橋豊治郎に対する検事の同年十二月十五日付聴取書中同人の供述記載
一、北浦圭太郎に対する検事の同月七日付聴取書中同人の供述記載
一、東京特別調達局より取寄にかかるL・D第一九号宿舎用床板購買契約関係書類の記載
一、押収にかかる岡組の業務日誌(前同押号の(ハ)の一五四五の二)及び事業概況書(同押号の(ハ)の一五二七)の各記載
を総合すれば、次の事実を認めることができる。
被告人富永直樹はもと富永忠恭といい、今次終戦前後から最近までは岡直樹といつていたものであつて、終戦直後から、岡組なる名称のもとに、大阪市北区堂島船大工町三十番地に本店を置き、連合国占領軍兵舎宿舎建設用床板納入の事業を始めたものであるが、昭和二十二年五、六月頃から右床板の代金の政府支払が遅延するに至り、金融機関から融資を受けることも困難となり、事業の運営にも差支を生ずるようになつたが、たまたま、当時衆議院議員であつた川橋被告人と相知るに至つたので、同被告人の協力を請うた結果、同被告人の発意で、富永被告人の右事業が連合国占領軍関係の業務であるところから、当時外務大臣兼終連総裁であつた芦田被告人に右床板納入代金の政府支払の促進又はこれに代る融資の斡旋について尽力を求めることに決し、そのため、従来芦田被告人と親交があり、川橋被告人とも懇意な間柄にあつた当時衆議院議員の元相被告人北浦圭太郎を介して富永被告人から芦田被告人に依頼することとし、同年十月上旬頃川橋被告人からこのことに関する北浦の承諾を得た上、富永被告人も、川橋被告人の紹介で同都千代田区永田町国会議事堂内において北浦と面接して直接同人の協力を請い、三者が協力して芦田被告人に尽力を依頼することとなつた。そこで、北浦は、その頃、芦田被告人に富永被告人の人物、事業等について説明し、同被告人に面会の機を与えられるよう依頼し、ついで、富永被告人は、川橋被告人に伴われて同年十月十日頃同都港区芝田村町の外務省に芦田被告人を訪れたが、芦田被告人が不在だつたので、川橋被告人は、芦田被告人の秘書官である下河辺被告人に富永被告人を芦田被告人に紹介するよう依頼してさきに辞去し、富永被告人だけが、芦田被告人の帰庁を待つて同被告人に面接し、前記床板納入代金の政府支払の促進又はこれに代る融資の斡旋を依頼するに至つたものであるが、その後においても、富永被告人は、同月中旬引き続き川橋被告人とともに又は単独で同都同区芝白金台町の外務大臣官邸及び右外務省に芦田被告人を訪れ、同様の依頼を重ねたものである。
第二富永被告人より芦田被告人になした依頼の内容
富永被告人らが芦田被告人に対しいかなる意図のもとに具体的にいかなる依頼をしたかまた芦田被告人がこれに対しどのように応待したかについては、
一、本節第一の認定事実
一、被告人富永直樹、同川橋豊治郎、同芦田均及び元相被告人北浦圭太郎の当公廷における各供述
一、岡直樹に対する検事の昭和二十三年十一月十七日付聴取書中同人の供述記載
一、芦田均に対する検事の同年十二月七日付聴取書中同人の供述記載
を総合すれば、次の事実を認めることができる。
富永被告人は、前認定のように、川橋被告人の発意により、右床板納入代金の政府支払が連合国関係の事項であるところから、外務大臣兼終連総裁たる芦田被告人に依頼するに至つたが、かかる事項が外務大臣又は終連総裁の所管であるとまで考えたわけではなく、同被告人が連合国関係の事項に明るいものと想像し、民主党総裁であり、かつ、内閣の副総理の地位にある同被告人に依頼すれば、同被告人からなんらかの方法によつてその事項の所管省庁等に富永被告人の意思が伝えられ、その他適当な処置がとられるものと考えたに過ぎず、従つて、現実に芦田被告人に面接した際も、かかる意図のもとに、速かに遅滞している右床板納入代金の政府支払を受けたく、それが不可能ならば、金融機関からの融資を斡旋されるようなんらかの尽力を願う旨の依頼をしたけれども、右床板納入代金の政府支払については、その契約の内容や遅延代金の額も明らかにせず、ただ漠然と、自己及び同業者らが多額の納入済代金の支払遅延のため困惑している旨を述べて、その政府支払の促進を訴えたに止まり、もとより、芦田被告人に国務大臣としての職権の発動即ち閣議において発言、審議することまでも依頼したものではない。川橋被告人及び北浦の両名も、右富永被告人以上の意図を有するわけもなく、川橋被告人も、富永被告人以上の正確な依頼内容を芦田被告人に伝えたものではない。そして、芦田被告人も、紹介者たる川橋被告人及び北浦の両名が同様衆議院議員であつて、古い政友であるところから、同人らに対する政治家としての義理合上富永被告人に面接したに過ぎないのであつて、依頼の内容が、外務大臣、終連総裁及び特別調達庁の主務大臣としての自己の所管でもないと考えたところから、床板納入契約の内容や遅延代金の額等について問いただすこともなく、後記認定の取計いをなしたに止まるのである。
検事は、富永被告人が芦田被告人に対し床板の既納分の遅延代金のみならず未納分の前渡金の支払をも依頼したものである旨主張するから、この点について考えると、
一、押収にかかる兵舎用床板購買契約関係書類のうち、P・D・JPNZ第五七二五号及び第七三三四号の契約関係書類(前同押号の(ハ)の五四三三の一及び二並びに五四三四の二)及び東京特別調達局より取寄にかかるL・D第一九号の宿舎用床板購買契約関係書類の各記載
一、昭和二十六年五月二十四日付公発第三三号をもつて検事の提出にかかる第六号別表岡組P・D契約一覧表の記載
によれば、富永被告人らが芦田被告人に右のような依頼をした当時、岡組の連合国占領軍兵舎宿舎用床板納入契約のうち、納入手続を完了して政府に対しその代金を請求することができる関係にあつたものは、昭和二十二年二月七日戦災復興院特別建設局との間に契約されたL・D第一九号に基く金五十万七千七百二十円余があるに過ぎず、物品が未納であるが規則上前渡金を支払うことができる関係にあつたものは、同年六月十九日戦災復興院特別建設局との間に契約されたP・D・JPNZ第五七二五号及び同年九月二十日特別調達庁との間に契約されたP・D・JPNZ第七三三四号の二口があることが明らかであつて、富永被告人も、現実には、後記認定のようにP・D・JPNZ第五七二五号の前渡金四百万円の獲得に成功しているのであるが、これは後記認定のとおり、富永被告人が芦田被告人の紹介を利用して奔走した結果であるから、このような事実から、富永被告人が芦田被告人に前渡金の支払をも依頼したものと推認することはできないのであつて、却つて、前示川橋、芦田各被告人、北浦元相被告人の当公廷における各供述及び前示芦田均に対する検事の聴取書中同人の供述記載と原審第五回公判調書中川橋被告人の供述記載、同第六回公判調書中北浦元相被告人の供述記載並びに栗栖赳夫らに対する収賄等被告事件(以下栗栖事件と略称する)における第一審第十三回公判調書及び第二審第三十七回公判調書中被告人栗栖赳夫の各供述記載とに、徴すれば、富永被告人の依頼のうちには、前渡金の支払の依頼は含まれていないと解せられるのであるから、検事の右主張は容認し得ないところである。
検事は、また、富永被告人の芦田被告人への依頼は、法律的には請託に当るものであつて、その内容は、明確なものとはいえないけれども、会談の状況、雰囲気からすれば、
(一) 政府支払の促進については、
(1) 窓口担当者への事務処理の是正の指示
(2) 所管大臣への適宜処置の依頼
(3) 問題解決の根本的方策の考慮
(イ) 予算不足により支払不能の場合における追加予算の作成
(ロ) 支払の方法及び手続の改善
(ハ) 支払方針の改善及び確立等
(二) 融資の斡旋については、
(1) P・Dの見返りによる融資の斡旋
(2) 床板納入代金債権の取立委任の方法による融資の斡旋
の各依頼を含むことが認識されるものであつて、芦田被告人も、かかる請託の内容を了解してその実現のため尽力したものである旨主張するけれども、以上の認定及び後記第三の前半の認定を左右するに足る証拠はないから、右検事の主張も、また、容認し得ないところである。
第三芦田被告人が富永被告人の依頼に応じてなした尽力の態様とこれにより富永被告人の受けた利益の程度
芦田被告人が富永被告人の依頼に対していかなる尽力をしたかについては、
一、被告人富永直樹及び同芦田均の当公廷における各供述
一、証人篠川正次の当公廷における供述
一、原審第二十二回公判調書中証人阿部美樹志の供述記載
一、栗栖事件における第二審第三十七回公判調書中被告人栗栖赳夫の供述記載
一、同事件における第一審第十六回公判調書及び第二審第十二回公判調書中被告人三ツ本常彦の各供述記載
一、芦田均に対する検事の昭和二十三年十二月七日付聴取書中同人の供述記載
一、阿部美樹志に対する検事の同月十八日付聴取書中同人の供述記載
一、工藤昭四郎の検事に対する昭和二十四年四月三十日付供述調書中同人の供述記載
一、長谷孫重郎に対する検事の昭和二十三年十二月十六日付聴取書中同人の供述記載
を総合すれば、
芦田被告人は、右のような依頼を受けたのち、
(一) 政府支払の促進については
富永被告人のいう床板納入代金に関する事務は終戦連絡事務局の所管ではないと考えたが、同被告人の言の真偽及び右事務の所管庁を確かめるため、同被告人が最初に芦田被告人を訪問して辞去した直後、終戦連絡中央事務局設営部経理課長篠川正次にその調査を命じた結果、右事務の所管庁は戦災復興院特別建設局であつて、岡組納入の右床板については、相当の遅延代金があることを知つたので、同年十月中旬頃、
(イ)大蔵大臣栗栖赳夫に電話で富永被告人を紹介し
(ロ)戦災復興院総裁阿部美樹志に宛てた富永被告人を紹介する旨の名刺を同被告人に交付し
(二) 融資については、
同年十月中旬頃
(イ) 前記栗栖大蔵大臣への紹介のほか
(ロ) 復興金融金庫副理事長工藤昭四郎
(ハ) 日本興業銀行預金部長長谷孫重郎
にそれぞれ宛てた富永被告人を紹介する旨の名刺を同被告人に交付したことが認められるのである。
検事は、芦田被告人が昭和二十二年度追加予算及び政府支払促進の方針に関する各閣議の審議、決定に参加していることを挙げ、これも富永被告人の請託が一原因をなしているものである旨主張するから、この点について考えると、
一、栗栖事件における第二審第四十二回公判調書中被告人栗栖赳夫の供述記載及び同公判調書添付の昭和二二年度本予算及補正予算(一般会計)と題する書面の記載
一、栗栖赳夫に対する検事の昭和二十三年十一月二十八日付聴取書中同人の供述記載
一、岩倉規夫に対する検事の同年十月二十七日付聴取書中同人の供述記載
一、内閣事務官成島正範作成にかかる同年十二月六日付「政府支払の削減に関する司令部の覚書に対して差当り採るべき措置要領」閣議決定案の件回答と題する書面並びに同書面添付の昭和二十二年十月二十四日の閣議決定案及び同年九月十二日付連合軍総司令部指令の各謄本の記載
一、押収にかかる昭和二十二年度一般会計予算補正(第五号)と題する印刷物(前同押号の(ハ)の三七七七)の記載
を総合すれば、
芦田被告人は、昭和二十二年十月十六日の閣議において、終戦処理費に関する同年度の第一回分の追加予算五十億円を含む補正予算案同年度予算補正第五号に関する審議、決定がなされた際、その閣議に参加し、また、同年十月二十四日の閣議において、総司令部の同年九月十二日付政府支払の削減に関する覚書を検討し、正当な政府支払は更にこれを促進する方針が審議、決定された際、その閣議に参加したことが認められるけれども、芦田被告人の右閣議における行為が富永被告人の依頼を実現させる意図のもとになされたと認むべき証拠はなく、却つて、右列挙証拠及び芦田被告人の当公廷における供述によれば、同被告人の右閣議における行為は、国家財政、国民経済及び当時朝野の重大問題となつていた政府支払の促進を要望する世論を考量してなされたものであつて、他に私的な原因はなく、富永被告人の前記依頼との間に因果関係はないものであることが認められるのであるから、右検事の主張は、容認することができない。
そこで、富永被告人が前認定の芦田被告人の取計いによつていかなる利益を得たかについて考えると、
一、本節第二の認定事実
一、被告人富永直樹の当公廷における供述
一、証人石破二朗の当公廷における供述
一、当審第三十二回公判調書中証人山口要三郎の供述記載
一、原審第二十二回公判調書中証人阿部美樹志の供述記載
一、原審第三十三回公判調書中証人長沼弘毅の供述記載
一、原審第二十一回公判調書中証人迫水久常の供述記載
一、栗栖事件における第二審第三十七回、第三十八回及び第四十二回各公判調書中被告人栗栖赳夫の各供述記載並びに右第四十二回公判調書添付の昭和二二年度本予算及補正予算(一般会計)と題する書面の記載
一、同事件における第一審第十六回公判調書及び第二審第十二回公判調書中被告人三ツ本常彦の各供述記載
一、岡直樹に対する検事の昭和二十三年十二月十六日付聴取書中同人の供述記載
一、阿部美樹志に対する検事の同月十八日付聴取書中同人の供述記載
一、山口要三郎に対する検事の同月十六日付聴取書中同人の供述記載
一、大槻義公に対する検事の同月十八日付及び同月二十八日付各聴取書中同人の各供述記載
一、長谷孫重郎に対する検事の同年十二月十六日付聴取書中同人の供述記載
一、工藤昭四郎の検事に対する昭和二十四年四月三十日付供述調書中同人の供述記載
一、前示P・D・JPNZ第五七二五号契約関係書類(前同押号の(ハ)の五四三三の一)並びに押収にかかる昭和二十二年十月二十八日付戦災復興院特別建設局業務部総務課長石破二朗振出日本銀行宛金額二百四十万円の封鎖支払小切手一通及び金額百六十万円の自由支払小切手一通(同押号の(ハ)の三七七九及び三七八〇)の各存在及び記載
を総合すれば、
富永被告人は、
(一) 政府支払促進の点については、
岡組が戦災復興院特別建設局との間に納入契約をしている占領軍兵舎宿舎用床板の代金について各比較、検討した上、既納分の契約の遅延代金を請求するよりも、他の未納分の契約の前渡金を請求する方が計数上有利なことを知つたので、もつぱら、右前渡金の請求に力を注ぐこととし、右芦田被告人の紹介を利用し、栗栖大蔵大臣及び阿部戦災復興院総裁をはじめ、それぞれその管下の大蔵省管理局及び戦災復興院特別建設局の係官に陳情、運動して、昭和二十二年十月下旬戦災復興院特別建設局に前記P・D・JPNZ第五七二五号契約の前渡金の下附を申請し、当時は、予算事情が逼迫し、右のような前渡金の支払は、原則として許されない実情であつたにかかわらず、たまたま、前記終戦処理費の第一回分追加予算五十億円を含む補正予算案同年度予算補正第五号が近く国会を通過する見込となつたことと相俟つて、同年十月二十八日同庁から右契約の前渡金として、本予算の残額中から金額二百四十万円の封鎖支払小切手一通及び金額百六十万円の自由支払小切手一通をもつて、合計金四百万円の支払を受け、芦田被告人の予測しなかつた前渡金の獲得に成功し、岡組の事業経営上多大の便益を受けたが、
(二) 融資の点については、
右芦田被告人の紹介をそれぞれ利用して、栗栖大蔵大臣及びその秘書官三ツ本常彦に陳情したほか、長谷日本興業銀行預金部長に同銀行からの融資を、工藤復興金融金庫副理事長に同金庫からの融資を各依頼したが、右陳情、運動は、いずれも奏効しなかつた、もつとも、その後、富永被告人は、栗栖大蔵大臣が融資について尽力する意思がないことを知つたので、新たに迫水久常の協力を得て栗栖大蔵大臣及び三ツ本秘書官に陳情、運動した結果、主として三ツ本秘書官の奔走により、同年十二月三十一日安田銀行下谷支店から、日本興業銀行の保証のもとに金二百万円の融資を受けたが、右融資の獲得は、芦田被告人の前記紹介とは無関係であつた
ことが認められるのである。
第四右金員の贈与に関する謀議及び芦田被告人への伝達
富永被告人が右床板代金の前渡金の支払を受けてから芦田被告人に前記金百万円を贈与するまでの経緯については、
一、被告人富永直樹、同川橋豊治郎、同芦田均、同下河辺三史及び元相被告人北浦圭太郎の当公廷における各供述
一、証人米津藤一及び同幸坂勇夫の当公廷における各供述
一、岡直樹に対する検事の昭和二十三年十一月十七日付聴取書中同人の供述記載
一、川橋豊治郎に対する検事の同年十二月十五日付聴取書中同人の供述記載
一、北浦圭太郎に対する検事の同月二十日付聴取書中同人の供述記載
一、米津藤一に対する検事の同年十月十四日付、同月十五日付及び同年十二月二十二日付各聴取書中同人の各供述記載
一、浜崎照胤に対する検事の同年十月十六日付聴取書中同人の供述記載
一、宮田貢に対する検事の同年十月二十一日付及び同年十二月二十日付各聴取書中同人の各供述記載
一、三和銀行東京支店の日建林産株式会社に対する当座勘定元帳写中昭和二十二年十一月十日及び同月十一日の欄の記載
一、当審における昭和三十年七月十二日付国会議事堂の検証調書中大臣室(院内閣議室)附近廊下の検証の結果の記載
一、前示岡組の業務日誌の記載
一、押収にかかる昭和二十二年十一月十一日付日建林産株式会社社長岡直樹振出三和銀行東京支店宛金額十五万円の自由支払小切手一通(前同押号の(ハ)の四〇一四)の存在及び記載
を総合すれば、次の事実を認めることができる。
富永被告人が前記のように川橋被告人の紹介により北浦と面接した昭和二十二年十月上旬頃、右三者間に、もし、芦田被告人の尽力により床板代金又は融資金を入手することができた場合には、富永被告人から芦田被告人に相当の献金をするとともに、川橋被告人及び北浦の両名にも相当の謝礼をする約束が成立した。ところが、富永被告人は、前記のように芦田被告人の紹介を利用して同年十月二十八日床板代金の前渡金四百万円の支払を受けたけれども、当時は、中国人からの借受金元利合計金二百五十万円の弁済期が切迫しており、また、大阪の岡組本店へも至急事業資金を送る必要があつたので、同被告人は、右前渡金の大部分をこれら急を要する債務の弁済その他の出費に充てたため、右前渡金のうちから右献金を実行することはできなかつた。しかし、右債務の弁済により中国人の信用を得ることができたので、再び中国人から金員を借り受けることとなり、同年十一月十日及び十一日の両日にわたつて合計金二百九十万円を入手することができたが、右金員の入手前、同月上旬、近く右金員を入手することが確実となつたので、同被告人は、川橋被告人及び北浦の両名にはかつた結果、右献金の額を百万円と決し、北浦から芦田被告人に富永被告人が献金する旨を通知することとなり、北浦は、その頃、前記国会議事堂内で芦田被告人と出会つた際、同被告人に対し、富永被告人が献金する旨を告げて、富永被告人方にその受領の使者を出すように促し、これにより、芦田被告人は、同月十一日秘書官たる下河辺被告人に命じて前記岡組東京事務所へ右献金の受領に赴かせたので、富永被告人は、右のように中国人からあらたに借り受けた合計金二百九十万円のうちから、前認定のように、下河辺被告人を通じて芦田被告人に本件金百万円を贈与したものであるが、他方、富永被告人は、右献金実行後北浦に対しても、同月十一日頃右国会議事堂内で金額十五万円の小切手一通を贈与し、北浦は、これを現金化した上、同月十三日頃右国会議事堂内で川橋被告人にその半額金七万五千円を分与したものである。
川橋被告人及びその弁護人は、以上の認定に反し、同被告人は、富永被告人の芦田被告人への本件金員の贈与には全然関与したことはなく、同被告人が富永被告人の前記前渡金の受領を知つたのも、同被告人から芦田被告人へ本件金員が贈与されたのちであると主張し、その根拠として、川橋被告人が本件金員贈与の前日たる昭和二十二年十一月十日富永被告人を伴つて特別調達庁へ岡組の床板納入代金に関する政府支払促進の陳情に赴いた事実があることを挙げている。しかし、この川橋被告人らの挙げる事実は、日時の点を除けば、富永被告人の当公廷における供述及び原審第二十五回公判調書中証人寺尾芳男の供述記載によつて認められるところであるが、その日時が昭和二十二年十一月十日であることは、右原審公判調書中の証人寺尾芳男の供述記載によつてもこれを確認することができず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。そしてさきに認定したところによつて明らかなように、その頃、岡組の占領軍兵舎宿舎用床板納入契約には、富永被告人が前記前渡金の支払を受けた前記P・D・JPNZ第五七二五号及び同被告人がすでに物品の納入を終つていたにかかわらずその代金が支払遅延の状態にあつた前記L・D第一九号の二口と前記P・D・JPNZ第七三三四号とがあつて、前の二口は、いずれも、戦災復興院特別建設局との契約にかかり、特別調達庁の業務開始後も引き続き戦災復興院特別建設局の所管であつたが、最後のP・D・JPNZ第七三三四号だけは、昭和二十二年九月二十日特別調達庁との間に契約されたものであつて、前示P・D・JPNZ第七三三四号の契約関係書類(前同押号の(ハ)の五四三四の二)の記載によれば、この契約については、富永被告人は、同年十月二十二日及び二十七日の両日にわたつて物品の納入を行い、同年十一月上旬頃にはその代金九十万八千四百十六円五十銭の請求をなし得る関係にあつたことが認められるから、富永、川橋両被告人がその頃前記前渡金請求の対象たるP・D・JPNZ第五七二五号の所管庁ではない特別調達庁へ床板代金の支払に関する陳情に赴いたとすれば、その陳情は、特別調達庁との契約にかかる右P・D・JPNZ第七三三四号に関するものと解せられないこともないわけである。従つて、右特別調達庁への陳情の事実をもつて、川橋被告人が昭和二十二年十一月十日頃に至るも前記前渡金支払の事実を知らなかつたとの事実の根拠とすることはできないのであつて、川橋被告人らの右主張は、容認することができない。
第三節 右金員贈与の趣旨
第一贈与者側の意図
本件金員がいかなる趣旨のもとに贈与されたものかについては、
一、本章第二節の認定事実
一、被告人富永直樹及び同川橋豊治郎の当公廷における各供述
一、原審第四回公判調書中被告人富永直樹の供述記載
一、岡直樹に対する検事の昭和二十三年十月二十二日付聴取書中同人の供述記載
一、川橋豊治郎に対する検事の同年十二月十五日付聴取書中同人の供述記載
一、北浦圭太郎に対する検事の同月二十日付聴取書中同人の供述記載
を総合すれば、
富永被告人は、前記P・D・JPNZ第五七二五号契約の前渡金の支払を受けることができたのは、同被告人が政府支払促進についての芦田被告人の各紹介を利用した結果であるところから、右各紹介を含む前節第三に記載した政府支払及び融資についての各紹介行為に対する謝礼及び今後も同様の取計いを得たい希望の趣旨を含めた政治資金として、芦田被告人に本件金百万円を贈与したものであり、川橋被告人は、芦田被告人のなした右各紹介行為については、長谷日本興業銀行預金部長への紹介のほかには、これを知つていたとは解し難いけれども、芦田被告人が富永被告人から前記のような依頼を受けて、同被告人のため、融資について右長谷日本興業銀行預金部長に紹介したほか、政府支払の促進についても配慮した結果、富永被告人が右前渡金の支払を受けたものと推察して、本件金員が右各配慮に対する謝礼及び今後も同様の取計いを得たい希望の趣旨を含めた政治資金であるとの認識のもとに、右金員の贈与に関与したものであり、北浦は、右各紹介行為を知らなかつたが、芦田被告人が富永被告人の依頼により政府支払の促進について配慮した結果、富永被告人が右前渡金の支払を受けたものと推察して、本件金員が右配慮に対する謝礼を含む政治資金であるとの認識のもとに、右金員の贈与に関与したものであることが認められるのである。
富永被告人及びその弁護人らは、右金員は、芦田被告人のかかる行為とはなんらの関係がない単なる政治献金である旨主張するけれども、右認定を覆してかかる事実を肯認させる証拠はないから、富永被告人らの右主張は、これを容認することができない。
検事は、右金員贈与の趣旨は、芦田被告人が終戦連絡中央事務局設営部経理課長篠川正次に調査を命じた行為と昭和二十二年度追加予算及び政府支払促進の方針に関する各閣議の審議、決定に参加した行為とに対する謝礼の趣旨をも含む旨主張するけれども、芦田被告人が右篠川正次に調査を命じた行為は、さきにも判断したように、同被告人は、富永被告人のいう床板納入代金に関する事務は終戦連絡事務局の所管ではないと考えたが、富永被告人が辞去した直後、その言の真偽及右事務の所轄庁を確かめるためになされたものに過ぎないのであつて、富永被告人が本件金員の贈与にあたり、芦田被告人のかかる行為を認識してこれに対する謝礼の意思を有していたと認むべき確証はなく、また、芦田被告人が前記昭和二十二年度の追加予算を含む補正予算案及び政府支払促進の方針に関する各閣議の審議、決定に参加した行為についても、富永被告人がかかる行為までも依頼したものでないことは勿論、芦田被告人の右行為が富永被告人の依頼に原因するものでないことも、さきに判断したとおりであつて、富永被告人が本件金員の贈与にあたり、芦田被告人のかかる行為に対する謝礼の意思を有していたと認むべき確証も存しない。そして、川橋被告人及び北浦も、右のような謝礼の意思を有していなかつたことは、前掲列挙証拠に照らし、疑のないところである。従つて、検事の右主張も、また、これを排斥するほかはない。
第二芦田被告人の職務権限との関係
本件金員が芦田被告人の前記各紹介行為に対する謝礼及び今後も同様の取計いを得たい希望の趣旨を含めた政治資金として富永被告人から芦田被告人に贈与されたものであることは、さきに判断したとおりである。
そして、芦田被告人の国務大臣としての職務権限並びに終戦連絡事務局の主任大臣兼終連総裁及び特別調達庁の主務大臣としての職務権限については、それぞれ前章の第一節及び第二節において詳細に論じたところであるが、芦田被告人の右各紹介行為は、同被告人の下部行政機関ではない他の担当行政機関への直接の紹介及び同被告人の監督下にない特殊金融機関の役職員への直接の紹介であつて、前節第三の冒頭の列挙証挙によれば、これは、被紹介者たる富永被告人に相手方たる担当行政機関や特殊金融機関の役職員に面接する機会を与えるためになされた単なる紹介行為であり、同被告人に右担当行政機関に陳情する糸口や右特殊金融機関との間に融資について折衝に入る糸口を得させるに止まり、それ以上同被告人に対する政府支持の促進や融資の成立について尽力する行為を含むものではなかつたことが認められるのであるから、かかる事実と前章において詳論した芦田被告人の職務権限との関係についてそれぞれ照合して判断するときは、芦田被告人の右各紹介行為は、同被告人の国務大臣、終戦連絡事務局の主任大臣兼終連総裁及び特別調達庁の主務大臣としての職務に属するものではないのはもとより、これと密接な関係のあるものでもなく、刑法第百九十七条にいう職務に関する行為ではないものといわなければならない。
なお、本件金員の贈与は、今後も同様の取計いを得たい希望の趣旨をも含むものであるから、前記のような戦災復興院特別建設局との契約にかかる占領軍建設物用床板の代金については政府支払が遅滞したばかりでなく、特別調達庁との契約にかかる占領軍建設物用床板の代金についても、今後前記依頼のときと同様納入手続完了後政府支払が遅滞した場合同様の紹介を得たい希望の趣旨をも含むこととなるので、この点についても考察すると、外務大臣が特別調達庁の主務大臣として同庁の行う設営業務に関して有する職務権限は、従前よりの終戦連絡事務局の主任大臣や終連総裁としての職務権限と同様維持管理関係にあつたものであつて、建設関係に及ばないものであることは、前章第二節において判断したとおりであるから、この場合においても、以上に述べたところと差異はないものといわなければならない。従つて、本件金員の贈与は、芦田被告人の職務権限とは、なんらの関係がないものと解すべきである。
検事は(イ)右各紹介行為について、前章において検事の主張として記載したとおりの論拠から、これらは芦田被告人の国務大臣、終連総裁及び特別調達庁の主務大臣としての職務に属するか又はこれと密接な関係のあるものであると主張するほか、(ロ)右各紹介行為のうち融資についてなされたものについては、これらは融資の斡旋であつて、特別調達庁の行う業務を指定した前示昭和二十二年総理庁外務省大蔵省告示第一号にいう「調達に関する業務」には融資斡旋行為が含まれるものであるから、かかる行為は、特別調達庁の主務大臣の職務に属するものであり、かりにそのようには認められないとしても、特別調達庁の主務大臣が調達業務について政府支払遅延の救済策として融資斡旋をすることは、その職務と密接な関係のある行為であり、また、国務大臣としても、政府支払の遅延のため困窮している者にこれに代る融資の斡旋をすることは、その職務行使そのものとはいえないとしても、これと密接な関係のある行為であるから、前記右融資についての各紹介行為は、芦田被告人の国務大臣及び特別調達庁の主務大臣としての職務に属するか又はこれと密接な関係のあるものであると主張するけれども、右(イ)の主張は、右に判断したところにより容認し得ないことは明らかであり、右(ロ)の主張については、芦田被告人の前記融資についての各紹介行為が融資の斡旋の実質を具えないものであつたことは、右に判断したところによつて明らかであるから、この主張も、また、容認し得ないものといわなければならない。
よつて、本件金員の贈与は、芦田被告人の職務に関してなされたものではないと解すべきものであるから、富永、川橋両被告人の行為は、贈賄罪を構成しないものであつて、同被告人らに対する本公訴事実は、結局、犯罪の証明がないものといわなければならない。
第四章 被告人富永直樹が被告人下河辺三史に洋服生地一着分を贈賄したとの公訴事実に関する判断
本公訴事実中被告人下河辺三史が昭和二十二年六月四日から外務大臣芦田均の秘書官、昭和二十三年三月十日芦田被告人が内閣総理大臣に就任したのちは引き続き同大臣の秘書官となつたが、昭和二十三年三月中旬頃被告人富永直樹が前記外務大臣官邸において、下河辺被告人に対し純毛洋服生地一着分を贈与したことは、
一、被告人富永直樹及び同下河辺三史の当公廷における各供述
一、原審第二十回公判調書中証人山辺和郎の供述記載
一、押収にかかる洋服生地一着分(前同押号の(ハ)の一九五二)の存在
を総合してこれを認めることができる。
そして、当時右秘書官の職務について規定していた各省大臣の秘書官に関する各省官制通則第二十一条や内閣総理大臣の秘書官に関する総理庁官制第六条にそれぞれ「機密事務」や「機密に関する事務」とあるのは、秘書官の職務の範囲を純粋な機密事項についての事務のみに制限する趣旨ではなく、機密事項に附随して大臣の身辺の庶務的な事務を処理することもこれに包含させる趣旨と解すべきものであるから、大臣への陳情者その他の訪問者について、大臣への連絡、取次をすることも、秘書官の職務に属するものといわなければならない。
そこで、右物品の贈与が、公訴事実に示されたように、床板納入代金の政府支払及び銀行融資等に関し芦田被告人への連絡その他について、下河辺被告人から便宜の取扱を受けた謝礼及び将来も同様の取扱を受けたい希望の趣旨のもとになされたものかどうかについて考えると、
一、被告人富永直樹及び同下河辺三史の当公廷における各供述
一、押収にかかる岡幸の記と題するノート(前同押号の(ハ)の一五八五の二)の記載
一、第三章第二節の認定事実
を総合すれば、次の事実を認めることができる。
富永被告人らが岡組の床板納入代金の政府支払の促進又はこれに代る融資の斡旋について依頼するため前章第二節第一に記載したように芦田被告人を訪問したときは、下河辺被告人がその連絡、取次に当つたことが多かつたが、もともと、富永、下河辺両被告人は、下河辺被告人が芦田外務大臣の秘書官に就任する前、株式会社日立製作所大森営業所に勤務していたときから相互に面識があつたものであつて、たまたま、富永被告人が前記床板納入代金の政府支払の促進等について芦田被告人に陳情するため、昭和二十二年十月十日頃川橋被告人に伴われて外務省を訪れた際、下河辺被告人に再会し、同被告人が日頃尊敬する芦田被告人の女婿であつてその秘書官となつていることを知り、その奇遇を喜んだが、その後同月中旬引き続き芦田被告人を訪問して、下河辺被告人と話し合う機会も増すごとに自然に親近感も深められたものである。そして、同年十一月十一日富永被告人が芦田被告人に金百万円を贈与したときも、下河辺被告人が芦田被告人に命ぜられて岡組東京事務所を訪れ、富永被告人からこれを受領したことは、さきに認定したとおりである。その頃、川橋被告人及び北浦らは、その所属する自由党の総裁吉田茂の独裁的傾向に不満を抱き、他の同志らとともに、吉田総裁を中心とするその側近のいわゆる主流派に対抗して党内の革新運動を起しており、富永被告人もこれに共鳴したので、川橋被告人、北浦をはじめその同志らは、同年十二月頃から翌昭和二十三年三月頃にわたり、東京都港区麻布霞町の富永被告人の居宅にもしばしば集合して活動を続けたが、芦田被告人も、この自由党内の革新運動の進展を望んでいたので、下河辺被告人が芦田被告人の意を体して昭和二十三年一月頃から同年三月頃までの間数回にわたりこの運動の情報を入手するためとこの革新派の代議士に活動資金を贈るために右富永被告人方を訪れて同被告人と語り合い、両者は、いよいよ親交を深めるに至つた。かかる折柄、同年三月十日芦田被告人が内閣総理大臣に任命され、下河辺被告人がその秘書官に就任したので、かねてから芦田内閣の出現を待望していた富永被告人は、大いにこれを喜び、総理大臣秘書官に昇進した下河辺被告人に祝意を表するため、前に買い求めた洋服生地一着分が手もとにあつたのを幸い、これを祝品として同被告人に贈つたものである。従つて、右物品の贈与は、下河辺被告人の職務とは関係のない単なる儀礼的なものといわなければならない。
検事は、右物品の贈与は、下河辺被告人の内閣総理大臣秘書官就任を祝う趣旨を含むとともに、富永被告人が芦田被告人に前記床板納入代金の政府支払の促進又はこれに代る融資斡旋を依頼するため同被告人を訪れた際、同被告人との連絡について下河辺被告人が便宜の取扱をしてくれた謝礼及び将来も同様の取扱を受けたい希望の趣旨を多分に含むものであつて、同被告人が内閣総理大臣秘書官に就任した機会に、その就任祝に藉口してかかる物品を贈与したものである旨主張するけれども、この点に関する岡直樹に対する検事の昭和二十三年十一月一日付聴取書、下河辺三史に対する検事の同月二日付訊問調書、同人に対する判事の同日付尋問調書及び同人に対する検事の同月四日付聴取書中の同人らの各供述記載は措信し難く、他に前認定を覆してかかる事実を肯認するに足りる確証はないから、この検事の主張は、これを採用することができない。
よつて、右物品の贈与は、下河辺被告人の職務に関してなされたものではないと解するのが相当であるから、富永被告人の右行為は、贈賄罪を構成しないものであつて、同被告人に対する本公訴事実は、結局犯罪の証明がないものといわなければならない。
第五章 被告人綾部健太郎が梅林時雄と共謀して被告人芦田均に金五十万円を贈賄したとの公訴事実に関する判断
第一節 総説
本公訴事実中、綾部被告人及び梅林時雄が協議の上、昭和二十二年十二月前記外務大臣官邸において芦田被告人に対し金五十万円を贈与したことは、
一、被告人綾部健太部及び同芦田均の当公廷における各供述
一、原審第七回公判調書中、原審相被告人梅林時雄の供述記載
を総合してこれを認めることができる。
しかし、綾部被告人及び梅林時雄の両名が昭和二十二年十二月芦田被告人に金五十万円を贈与した日時については、検事はこれを同年四月十一日頃であるとするに対し、綾部、芦田両被告人は原審における梅林時雄の供述に同調して同月七日頃であると主張しており、また、右金員贈与の趣旨については、検事は、右金五十万円は綾部被告人及び梅林時雄が、梅林土木株式会社(以下梅林土木と略称する)及び占領軍工事大分地区兵舎建設本部(のち後記のように大分地区占領軍工事建設本部と改称された、以下建設本部と略称する)に対する政府支払の促進に関し芦田被告人に対し尽力するよう請託し、その対価として供与されたもの、即ち芦田被告人の職務に関して授受せられた賄賂であると主張するに対し、綾部、芦田両被告人及びその弁護人らは右は賄賂性のない単なる政治献金として授受されたものであると争つている。
これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。
第二節 梅林時雄の経歴並びに同人と梅林土木及び建設本部との関係
この関係については
一、原審第七回及び第十五回各公判調書中原審相被告人梅林時雄の供述記載
一、栗栖事件における第二審証人梅林襄に対する訊問調書中証人の供述記載
一、同事件における第二審証人本条守に対する訊問調書中同証人の供述記載
一、梅林時雄に対する検事の昭和二十三年十二月二十四日付聴取書中同人の供述記載
一、梅林時雄の検事に対する昭和二十四年一月六日付供述調書(梅林、検事記録全三冊の一中のもの)中同人の供述記載
一、綾部健太郎の検事に対する同月七日付供述調書中同人の供述記載
一、本条守に対する検事の昭和二十三年十二月二十八日付聴取書中同人の供述記載及び同聴取書添付の第一表「占領軍工事大分地区兵舎建設本部機構」の記載
一、梅林土木株式会社の登記簿謄本の記載
一、押収にかかる梅林時雄の経歴書(前同押号の(ハ)の三一六五の三)の記載
を総合すれば、
梅林時雄は大分市において土木建築請負業を営んでいた梅林宇十郎の長男に生れたものであつて、昭和四年明治大学専門部政治経済科を卒業し、一時他に奉職したが、父の許に帰つて数年間現場監督の見習をしたのち、父宇十郎の地位を承継してその創立にかかる株式会社梅林組の専務取締役となり、昭和十七年一月三十一日会社の商号が梅林土木株式会社と変更された際その取締役社長に就任し、ついで昭和十八年十二月社長の地位を叔父の三橋藤吉に譲り、自らその取締役会長となつた。しかるに、終戦後連合国軍隊の進駐を見るに及んで、昭和二十一年四月頃、北九州地方において連合国軍関係の土木建築工事が大規模に施行されることとなつた際、政府と業者との間に行われるその契約の締結、代金の受領等の事務の円滑を計ることを目的として土木建築請負業を営む梅林土木をはじめ三十一の業者を打つて一丸とする建設本部(当初占領軍工事大分地区兵舎宿舎建設本部なる名称であつたが、昭和二十二年暮か昭和二十三年一月頃、大分地区占領軍工事建設本部と改称された)が結成され、推されてその本部長に就任し、連合国関係の土木建築請負に関する契約の締結代金受領等に関する代表責任者となつたが、昭和二十二年四月衆議院の総選挙が施行されるに当つて民主党大分支部に入党した上大分県第一区より立候補して当選した事実が明らかである。
この点に関し、梅林時雄は、原審第七回公判において、代議士に当選後は、梅林土木や建設本部とは事実上関係を絶つに至つたと主張しているが、
一、原審第七回及び第十五回各公判調書中原審相被告人梅林時雄の各供述記載
一、原審第三十七回及び第三十八回各公判調書中証人梅林襄の各供述記載
一、原審第二十三回公判調書中証人清水吉太郎の供述記載
一、原審第三十九回公判調書中証人後藤富士夫の供述記載
一、原審第三十回公判調書中証人本条守の供述記載
一、原審における証人植田五郎に対する訊問調書中同証人の供述記載
一、栗栖事件における第二審証人梅林襄に対する訊問調書中同証人の供述記載
一、同事件における第二審証人後藤富士夫に対する訊問調書中同証人の供述記載
一、同事件における第二審証人本条守に対する訊問調書中同証人の供述記載
一、梅林時雄に対する検事の昭和二十三年十二月二十八日付聴取書中同人の供述記載
一、梅林時雄の検事に対する昭和二十四年一月六日付供述調書(梅林、検事記録全三冊の一中のもの)中同人の供述記載
一、梅林襄に対する検事の昭和二十三年十二月二十九日付聴取書中同人の供述記載
一、梅林久子の検事に対する昭和二十四年一月十一日付供述調書中同人の供述記載
一、前示梅林土木株式会社の登記簿謄本の記載
を総合すれば、次の事実が認められるのである。
梅林時雄は、
(一) 衆議院議員当選後間もなく梅林土木の取締役会長を辞任したい旨の意思を表明し、昭和二十二年八月正式にこれを辞任し、同会社の相談役に就任したが、右辞任の意思表明後は取締役会長としては同会社の経営に直接参与していなかつたものである。
しかし、
(1) 右相談役就任以後は梅林土木より相談役の手当として昭和二十三年八月頃まで取締役在職中とほぼ同額の手当が大分市所在の同人の留守宅へ届けられており、この事実は同人もよく承知していたものであり、
(2) 右相談役就任の前後にわたり、梅林土木より同会社に対する政府支払の促進や融資等同会社の重要な事項については相談を受け、ある程度その実現について尽力していたものであり、
(二) 衆議院議員当選後は、帰郷することは甚だ稀であつた関係上、建設本部の事務を統轄することは困難であつたので、本部長の事務は、ほとんど同本部の総務課長本条守に委ねていたのであるが、事業上の大綱は依然として梅林時雄が掌握し、建設本部所属の各土木建築請負業者に対する政府支払の促進について、各業者から同業出身の代議士としてその活躍を期待されていたものである。
それ故梅林時雄が衆議院議員に当選したのち、梅林土木及び建設本部との関係を事実上絶つに至つたものとは到底解することができないのである。
第三節 綾部、芦田両被告人及び梅林時雄間の各相互の個人的関係並びに綾部被告人と梅林土木との関係
第一綾部被告人と梅林時雄及び梅林土木との関係
この関係については、
一、被告人綾部健太郎の当公廷における供述
一、原審第八回公判調書中被告人綾部健太郎の供述記載
一、原審第七回公判調書中原審相被告人梅林時雄の供述記載
一、原審における証人膳所正威に対する訊問調書中同証人の供述記載
一、綾部健太郎の検事に対する昭和二十四年一月七日付供述調書中同人の供述記載
一、梅林時雄の検事に対する同月八日付供述調書中同人の供述記載
一、前示梅林土木株式会社の登記簿謄本の記載
を総合すると、次の事実が認められる。
綾部被告人は、昭和三、四年頃土木建築請負業梅林組こと梅林宇十郎と相知るにいたつたが、事業上綾部被告人の尽力を受けた関係から梅林宇十郎は綾部被告人を徳とし、両名の交際は親密の度を加えるに至り、宇十郎より同人の長男時雄や次男襄のため何分の配慮に預かりたいという依頼を受けていた。その後宇十郎は株式会社梅林組を創立して自らその取締役社長となつたが、同会社は昭和十七年一月その商号を梅林土木株式会社と改め、長男時雄がその取締役社長となり、宇十郎は同会社の相談役に就任するに至つた。
昭和十八年十二月、時雄は右取締役の地位を叔父三橋藤吉に譲つて取締役会長の地位に就任し、その後実弟襄が三橋藤吉に代つて取締役社長となつたが、昭和二十二年の初頃綾部被告人が宇十郎を訪問したとき、同人は綾部被告人に対し、右時雄や、襄の将来及び会社の事業について、配慮を依頼した上、時雄を代議士に立候補させたいからといつて、その後援等を依頼し、時雄の政治上の後見役として指導を与えられんことを懇願して時雄を綾部被告人に引き合わせた。そこで同被告人はその懇願を容れ、直ちに時雄を民主党に入党させ、かつ同年四月施行の衆議院議員総選挙に郷里より立候補した時雄のため指導応援するところがあつたが、時雄が右選挙に当選して代議士になつたのちにおいても後記認定のような政治家として大成することについて指導誘掖をし、同年六月宇十郎が死亡するや綾部被告人は同年八月頃、当時梅林土木の取締役会長の職を退いて同会社の相談役に就任していた時雄より、宇十郎の遺志であるから社業を援助されたい旨の懇請を容れて同会社の嘱託に就任し、同年九月頃から同会社の諮問に応じ、あるいは同会社のため銀行からの金融の斡旋等に尽力し、また後記認定のように梅林土木に対する政府支払の促進を運動する等同会社の事業について好意ある援助を惜しまなかつたことが認められるのである。
第二綾部被告人と芦田被告人との関係
この関係については、
一、被告人綾部健太郎及び同芦田均の当公廷における各供述
一、原審第八回公判調書中被告人綾部健太郎の供述記載
一、原審第十回公判調書中被告人芦田均の供述記載
一、原審第十二回公判調書中証人大麻唯男の供述記載
を総合すると、次の事実が認められる。
綾部、芦田両被告人は、大正八、九年頃から面識があつたが、たまたま昭和七年に行われた衆議院議員総選挙に際し右両被告人はともに初めて立候補当選し、いずれも政友会に所属し、引き続いて両被告人とも当選を重ね、次第に党内に重きをなすに至つたのである。
そして、両被告人は、右初当選以来次第に親密の度を加えた。ところが戦時体制の強化にともない旧政党が解消されたが、芦田被告人は、今次の戦争勃発後も依然従前どおりの反戦主義自由主義を堅持して政治活動を続けたため、引き続いて衆議院議員にも当選はしたが、その言動は常に軍部あるいは特高警察の監視下にあつて、ほとんど政治活動を封ぜられていた。しかるに綾部被告人は、大日本政治会防衛部長、海軍政務次官等を歴任したりして戦時中も相当な活躍を続けていたので、両被告人間の往来の機会も少かつたが、敗戦の結果、両者の位置は全く顛倒し、綾部被告人がいわゆる被追放者としてその政治活動を禁圧されたのに反し、芦田被告人は、鳩山一郎、安藤正純らとともに日本自由党創立委員として同党の創立に参画し、間もなく幣原内閣の厚生大臣となり、その後厚生大臣を辞任して日本自由党総務に就任したが同党の性格が時代の要求に沿わないものと考えたので、昭和二十二年二月同党より脱党し、同年三月には進歩党所属の党員及び日本自由党を脱党した数名の同志らとともに民主党を創立し、同年五月同党総裁に就任し、同年六月社会党の片山哲を首班とするいわゆる三派連立内閣が組織されるに当つては外務大臣に就任するとともにいわゆる副総理となつた。その間綾部被告人は被追放者であつたため、為政の局にある芦田被告人のところへはあまり出入りしなかつたが、両被告人間の友情は決して冷却したわけではなく、綾部被告人は芦田被告人を当代随一の政治家として深く敬愛しており、芦田被告人もまた、綾部被告人を親切な朋友としてその友誼に感謝していたのである。
第三芦田被告人と梅林時雄との関係
この関係については、
一、被告人芦田均及び同綾部健太郎の当公廷における各供述
一、原審第十回及び第十六回各公判調書中被告人芦田均の各供述記載
一、原審第八回公判調書中被告人綾部健太郎の供述記載
一、原審第七回公判調書中原審相被告人梅林時雄の供述記載
一、原審第二十四回公判調書中証人北村徳太郎の供述記載
一、原審第三十一回公判調書中証人椎熊三郎の供述記載
一、芦田均に対する検事の昭和二十三年十二月七日付及び同月十三日付各聴取書中同人の各供述記載
一、綾部健太郎に対する検事の同年十一月二十八日付聴取書中同人の供述記載
一、椎熊三郎に対する検事の同年十二月二十一日付聴取書中同人の供述記載
一、小島徹三に対する検事の同日付聴取書中同人の供述記載
一、寺島隆太郎に対する検事の同日付聴取書中同人の供述記載
を総合すると、次の事実を認めることができる。
梅林時雄は昭和二十二年三月、民主党大分県支部に入党し、同年四月施行の衆議院議員総選挙に立候補して当選し、同年五月上京したが、当時の民主党は幣原喜重郎が総裁であつた進歩党を解党し、これを母体として、日本自由党を脱党参加した芦田被告人ら十二、三名と小会派二十数名とを合わせて、同年三月発足したばかりの新政党であつて、まだ総裁も決定せず、斎藤隆夫、一松定吉、木村小左衛門、河合良成、犬養健、楢橋渡、芦田均の七名をその最高委員に挙げ、その合議によつて党を運営しようとしていたところ、間もなく河合、犬養、楢橋の三名が相次いで追放され、ついで四囲の情勢から党に総裁をおこうとの議が生ずるに至つた。そこで旧進歩党系の党員は極力幣原喜重郎を推そうとするのに対し、これに属しない党員で芦田被告人を推そうとする者も少からずあつて、互に運動中であつたから、中央政界の事情に通じない梅林時雄としては、そのいずれの流派に参加すべきかに迷つたが、綾部被告人の意見に従い、芦田被告人に師事し、政治家として大成しようとし、同年五月二十五日頃綾部被告人の紹介を得て、東京都中央区銀座の交詢社で芦田被告人に面接し、将来の指導を請い、その際手土産代りに政治資金として金五十万円を贈つた。梅林時雄はその後屡々同被告人と接触し、回を重ねるに従つて益々その人格識見に傾倒し、同被告人の指導の下に、将来その志を伸ばそうという決意を固くしたのである。一方芦田被告人においても、当時の民主党の党内には、幾多の派閥があつて内紛を続けていたような状態であつたから、同党の総裁となつた芦田被告人としては一人でも多くの党員を自己の側近者にしようと熱望していたので、自己の親友である綾部被告人の紹介で知つた梅林時雄が政務や党務に極めて熱心であり、その仕事振りも綿密細心であつたため、深く同人の前途に望を嘱するに至つた。
かくして、梅林時雄は代議士としてはその経歴こそ若かつたが、その努力により同年六月には党の党務部副部長や政務調査会理事に、同年八月には同会常任理事にそれぞれ登用され、また国会においても、衆議院財政金融委員、大蔵委員及び予算委員等に選任され、次第に政界に重きをなすに至つたものである。
それ故、梅林時雄と芦田被告人とは上叙のような事情からただ総裁と党員という関係のみに止まらず、相互に信頼依存の関係にあつたものというべきである。
第四節 綾部被告人及び梅林時雄が芦田被告人に対し梅林土木又は建設本部に対する政府支払に関し、依頼をした事実の有無
この点については、
一、被告人綾部健太郎及び同芦田均の当公廷における各供述
一、原審第十一回公判調書中被告人綾部健太郎の供述記載
一、原審第十回及び第十六回各公判調書中被告人芦田均の各供述記載
一、原審第七回及び第十三回各公判調書中原審相被告人梅林時雄の各供述記載
一、綾部健太郎に対する検事の昭和二十三年十二月二十七日聴取書中同人の供述記載
一、綾部健太郎の検事に対する昭和二十四年一月七日付供述調書中同人の供述記載
一、芦田均に対する検事の昭和二十三年十二月二十三日付及び同月二十八日付各聴取書中同人の各供述記載
一、梅林時雄に対する検事の同月二十八日付及び同月三十一日付各聴取書中同人の各供述記載
一、梅林時雄の検事に対する昭和二十四年一月六日付(梅林、検事記録全三冊の一中のもの)及び同月八日付各供述調書中同人の各供述記載
を総合すると、次の事実を認めることができる。
綾部被告人は、前記のように梅林土木の嘱託として同会社の金融面を担当していたが、昭和二十二年九月頃同会社の資金状態について占領軍工事の政府支払金の取下が実現せられるにおいては、他より金融を受ける必要がないことを知り、年来の親友である外務大臣兼終連総裁たる芦田被告人の政治力によつて右政府支払の促進を計ろうとし、その頃から同年十二月上旬頃までの間数回にわたり、国会、外務省あるいは外務大臣官邸等に芦田被告人を訪れ、梅林土木に対する政府支払の促進を依頼し、熱心に梅林土木に対する政府支払の促進を懇請した。また、梅林時雄においても綾部被告人が梅林土木の嘱託として同会社の金融方面及び同会社に対する前記政府支払の促進に関する用務を担当していたことを承知しており、被告人と梅林土木に関する重要問題について協議をとげ、また、自己が建設本部長たる責任上、つとめて同被告人と右梅林土木に対する政府支払の促進についての連絡を保つていた。そして、梅林時雄は同年七、八月頃衆議院内において、芦田被告人に対し、建設本部に対する政府支払の促進についての善処を要望し、併せて梅林土木に対する政府支払が遅延している状況をも説明し、同年九月頃及び十一月頃の二回にわたり、外務省に芦田被告人を訪ねた機会に、同被告人に対し、各その頃第八軍より発せられた政府支払促進に関する通牒が終戦連絡中央事務局に到達しているかどうかを尋ね、併せて右通牒の趣旨に則つて梅林土木を含む業者全部に対する政府支払の促進を依頼し、また、同年夏頃村上代議士が政府支払促進のため国会に梅林時雄を訪問した際同代議士を芦田被告人に紹介した際にも、業者全部に対する政府支払は超党派的問題であるから、その促進を考慮せられたい旨を述べたのであるが、梅林時雄が建設本部に対する政府支払の促進について芦田被告人に依頼し、あるいはその機会を利用して梅林土木に対する政府支払が遅延している情況をも併せて説明したのは、昭和二十二年夏頃より同年十二月頃までの間であつて、その回数も合計四回位であつたのである。
第五節 芦田被告人が綾部被告人及び梅林時雄の政府支払に関する依頼に基き尽力した事実の有無
この点について、検事は、芦田被告人が右政府支払に関する依頼に基き梅林土木及び建設本部のために尽力したのは
(一) 国務大臣として昭和二十二年度追加予算案審議の閣議に列席し、同案の成立に賛成していること
(二) 閣議において、土木建築請負業者に対する政府支払促進に関し、発言し、かつ政府支払促進に関する閣議決定に参加していること
(三) 昭和二十二年八月以降屡々下僚に対し政府支払を促進すべき旨を強調し、自らもまたその具体的措置を考慮していたこと
(四) 政府支払促進に関する閣議決定及び閣議の発言に基き、会計法第二十二条による予算決算及び会計令臨時特例所定の概算払の特別措置を実現せしめていること
(五) 政府支払促進に関する第八軍からの昭和二十二年十一月十日「進駐軍工事代金支払」と題する通牒及び同年十二月二十六日「進駐軍の要求に基く債務の支払」と題する通牒の到達の有無を調査していること
であると主張するから以下これらに対し順次判断を加えることとする。
(一)及び(二)について
これらの点については、
一、被告人芦田均の当公廷における供述
一、栗栖事件における第二審第四十二回公判調書中被告人栗栖赳夫の供述記載及び同公判調書添付の昭和二二年度本予算及び補正予算(一般会計)と題する書面の記載
一、梅林襄に対する検事の昭和二十三年十二月二十九日付聴取書中同人の供述記載
一、本条守の検事に対する昭和二十四年一月十一日付供述調書中同人の供述記載
一、長沼弘毅に対する検事の昭和二十三年十月二十五日付聴取書中同人の供述記載
一、岩倉規夫に対する検事の同月二十七日付聴取書中同人の供述記載
一、内閣事務官成島正範作成にかかる昭和二十三年十二月六日付「政府支払の削減に関する司令部の覚書に対して差当り採るべき措置要領」閣議決定案の件回答と題する書面並びに同書面添付の昭和二十二年十二月二十四日閣議決定案及び同年九月十二日付連合軍総司令部指令の各謄本の記載
一、梅林土木株式会社提出にかかる昭和二十二年十二月中政府支払工事金受領額総括表(臨時措置ニ依ル分ト通常措置ニ依ル分)と題する書面の記載
を総合すれば、次の事実を認めることができる。
終戦処理費に関する昭和二十二年度本予算は、同年七月頃既に不足を告げ、その頃から占領軍関係業者への政府支払の渋滞を来すに至り、かかる政府支払を促進しようとすれば、まず、追加予算を成立させなければならない状況にあつた。このため、終戦処理費五十億円の追加予算を含む補正予算案として同年度予算補正第五号が同年十月十六日の閣議において、終戦処理費三百四十億円の追加予算を含む補正予算案として同年度予算補正第七号が同月三十一日の閣議において、各審議決定され、また、同年八月十五日及び十月二十四日の各閣議において政府支払促進の趣旨が審議決定されたが、芦田被告人は以上のすべての閣議に出席、参加しているのであつて、同年十月十六日及び同月三十一日の前記各閣議決定に基いて、前記同年度予算補正第五号が同月三十一日に、同補正第七号が同年十一月二十九日にそれぞれ、国会の議決によつて成立し、梅林土木及び建設本部に対する政府支払が促進された結果、
梅林土木に対しては昭和二十二年十二月十五日頃から同月二十八日頃までの間に同年十一月三十日現在の未受領額約一億三千三百十五万円中
後記認定の臨時措置によつて金五千三百十三万七千五百三十五円が、通常措置によつて金千九百四万九百五十五円四十三銭が、それぞれ支払われ
建設本部に対しては、同年十二月二十日に同様の臨時措置によつて
兵舎工事代金として金千五百八十三万七千五百三十二円が、
宿舎工事代金として金千三百四十万八千九百四円九十三銭が、
それぞれ、支払われ、両者とも著しく利益を受けるに至つたものである。
そして、右補正予算案や政府支払促進に関する閣議の審議、決定に参加した芦田被告人が、当時、その審議、決定の結果、政府支払が促進され、梅林土木や建設本部を含む一般業者がその利益に均霑することができるであろうことを漠然と認識していたことは推測し得ないわけではないのであるが、さきに第三章第二節の第三において判断したところによつて明らかなように、当時の客観状勢から考えてみると、当時政府支払促進の問題は、朝野の重要な懸案であつたのであり、閣議においてかかる補正予算案が審議され、政府支払の問題が附議されるということは改めて梅林時雄らの懇請をまつまでもなく、必然的になさるべき重大な事項であつたのであつて、芦田被告人が右閣議における審議、決定に参加したのは、前記のように一般業者に対する政府支払促進のためであり、記録に徴しても、芦田被告人が右審議決定に参加したことが、特に綾部被告人や梅林時雄の依頼によるものであることを認めるに足りる証拠はないのである。それ故、芦田被告人が上叙のように補正予算案や政府支払促進に関する各閣議の審議、決定に参加した行為を目して特に梅林時雄らの請託実現の意図の下になされたものであるということはできない。
(三)について
この点については、
一、被告人芦田均の当公廷における供述
一、原審第十回公判調書中被告人芦田均の供述記載
一、芦田均に対する検事の昭和二十三年十二月二十八日付聴取書中同人の供述記載によると、昭和二十二年八月頃占領軍から政府支払の促進に関する指令があつた際、芦田被告人の参加した閣議においてその指令に添うよう事務当局を督励しようとの決定がなされ、同被告人は、右趣旨に従い、終戦連絡事務局において配置転換により事務処理促進の措置を講じたことを認めることができる。
しかし、右のように占領軍の指令に添うように事務当局を督励しようという閣議決定がなされた際、芦田被告人がその決議に加わつたことは内閣の構成員として当然のことであるというべく、芦田被告人が下僚に対して事務処理の促進を指示したのは、右閣議決定に従う立場にある上司としての当然の措置と認むべきであり、また、芦田被告人が右閣議決定に参加し又は下僚に対し指示した当時、特に梅林時雄らの請託実現の意図の下に右各行為をなし、あるいは梅林土木や建設本部に対する便宜供与となるべきことを認識して右各行為をなしたという事実を認めるに足りる確証がないのである。
(四)について
この点については、
一、以上(一)乃至(三)について判断した事実
一、被告人芦田均の当公廷における供述
一、原審第三十七回公判調書中証人梅林襄の供述記載
一、栗栖事件における第二審証人梅林襄に対する訊問調書中同証人の供述記載
一、梅林襄に対する検事の昭和二十三年十二月二十九日付聴取書中同人の供述記載
一、前示梅林土木株式会社提出にかかる昭和二十二年十二月政府支払工事金受領総括表(臨時措置ニ依ル分ト通常措置ニ依ル分)と題する書面の記載
一、第八軍司令部から終戦連絡中央事務局に宛てた昭和二十二年十一月十日付「進駐軍工事代金の支払」と題する書面(写)の記載
を総合すれば、次の事実を認めることができる。
政府は、前記政府支払促進に関する閣議決定の趣旨に従い、その具体的方途を考慮していたところ、第八軍司令部から昭和二十二年十一月十日付「進駐軍工事代金の支払」と題する占領軍関係工事請負業者に対する支払促進に関する通牒を受けたので、同年十二月、会計法第二十二条による予算決算及び会計令臨時特例所定の概算払の特別措置(以下臨時措置と略称する)を実施し、占領軍関係工事請負業者に対しては、正規の査定手続を経なくても、工事代金の概算払をすることとしたので、梅林土木は、同年十二月中、同会社が施行した占領軍関係工事の代金について、通常措置によつては、合計金千九百四十万六千九百五十五円四十三銭の支払を受けたに過ぎないけれども、臨時措置によつては、
(a) 福岡県芦屋地区工事(建設及び維持管理工事を含む)代金二千八百七万八千七百十円
(b) 大分県別府地区工事(右同)代金二千五百五万八千八百二十五円
右合計金五千三百十三万七千五百三十五円の支払を受けた事実が明らかである。
そして、昭和二十二年十二月に実施された右政府支払に関する臨時措置は、前記政府支払促進に関する閣議決定の趣旨に従つたものであり、芦田被告人もその実施を知つていたことは推測し得ないわけではないのであるが、右臨時措置は全国的に展開された占領軍工事請負業者の政府支払促進運動と、第八軍から発せられた右昭和二十二年十一月十日付占領軍関係工事請負業者に対する支払促進に関する通牒とによつて至急適宜の措置を執らなければならない事態に立ち至つたため、全国の占領軍関係土木建築請負業者に対して採られた応急の措置であり、記録に徴しても、芦田被告人が特に、梅林時雄らの依頼によつてその請託実現の意図の下に、梅林土木又は建設本部の利益のために、閣議で主張した結果実施せられたものであると認めるに足りる証拠はないのである。
(五)について
この点については、
一、原審第十回公判調書中被告人芦田均の供述記載
一、原審第七回公判調書中原審相被告人梅林時雄の供述記載
一、梅林時雄に対する検事の昭和二十三年十二月二十八日付及び同月三十一日付各聴取書中同人の各供述記載
一、梅林時雄の検事に対する昭和二十四年一月六日(梅林・検事記録全三冊の一中のもの)付供述調書中同人の供述記載
一、下河辺三史の検事に対する同年二月三日付供述調書中同人の供述記載
一、平原毅の検事に対する同月九日付供述調書中同人の供述記載
を総合すると、
昭和二十二年九月頃及び同年十一月頃、芦田被告人は、梅林時雄の依頼により秘書官たる下河辺被告人や外務事務官平原毅に命じ、第八軍から占領軍関係工事請負業者に対する政府支払の促進に関する通牒が終戦連絡中央事務局に到達しているか否かを調査させたことがあつたことが認められる。
そして、前記各証拠によると、かかる第八軍の通牒が発せられたことは、梅林時雄にも既に判つていて、同人が芦田被告人に求めたものは、ただ単にかかる通牒が終戦連絡中央事務局に到達しているかどうかということを尋ねることにあつたのではなく、梅林土木や建設本部に対する政府支払の促進を求める趣旨の運動が主たるもので、これと併せて政府支払についての政府の方針を了知しようとしたことが認められるのである。しかし、芦田被告人は直ちに梅林時雄の依頼に応じ下僚をして前記通達の着否を調査せしめ、その到着を確認した上、その旨回答するとともに、右通達の趣旨に従つて支払促進に努力するとの趣旨を述べたことが認められるに止まるものであつてそれ以上芦田被告人が梅林時雄らの請託実現のために積極的に尽力したことは、これを認めるに足りる確証はないのである。
右の事実関係について判断すると梅林時雄の陳情や調査依頼に対し、芦田被告人がその陳情を受けるとともに調査を命じた上通達の趣旨に従つて支払促進に努力すると述べたことは、同被告人の終連総裁たる職務に関する行為と見ることができないわけではないが、芦田被告人は、それ以上、梅林時雄らの請託実現のため積極的に尽力したことが認められないことは右説明のとおりである。従つて以上の芦田被告人の行為は極めて軽微な便宜供与であるに止まり、梅林時雄らに対し、それ以上の効果や利益を与えたものということはできないし、昭和二十二年十二月芦田被告人に贈与された本件金五十万円は右便宜供与の対価として贈与されたものではないことは後記認定のとおりである。
第六節 右金員贈与の日時及び右金員の出所
この点については、
一、原審第七回公判調書中原審相被告人梅林時雄の供述記載
一、原審第三十八回公判調書中証人梅林襄の供述記載
一、原審第三十回公判調書中証人山口芳子の供述記載
一、栗栖事件における第二審第六十三回公判調書中証人綾部健太郎の供述記載
一、同事件における第二審証人梅林襄に対する訊問調書中同証人の供述記載
一、同事件における第二審証人植田五郎に対する訊問調書中同証人の供述記載
一、綾部健太郎の検事に対する昭和二十四年一月七日付供述調書中同人の供述記載
一、梅林時雄に対する検事の昭和二十三年十二月二十八日付及び同月三十一日付各聴取書中同人の各供述記載
一、梅林時雄の検事に対する昭和二十四年一月六日付供述調書(梅林・検事記録全三冊の一中のもの)中同人の供述記載
一、山家克己に対する検事の昭和二十三年十二月二十七日付聴取書中同人の供述記載
一、押収にかかる
(一) 昭和二十二年十二月九日付住友銀行大分支店長板垣正美振出、同銀行東京支店宛金額百万円の小切手一通及び金額五十万円の小切手二通(前同押号の(ハ)の三一一〇)の存在及び記載
(二) 同年同月十一日付梅林時雄振出、住友銀行東京支店宛金額五十万円の小切手一通(前同押号の(ハ)の三一〇九)の存在及び記載
(三) 梅林時雄名義大阪銀行東京支店当座勘定出入記入表(前同押号の(ハ)の三一四一の一)の記載
を総合すると、
梅林時雄が綾部被告人と協議の上芦田被告人に金五十万円を贈与した日時は芦田被告人が民主党総裁として昭和二十二年十二月中旬九州において開催される民主党の各大会に出席するため東京を出発した日の前日である同月十一日であること及び右金員は予てからの梅林時雄の要求によつて、その頃梅林土木から同人に対し同月九日付住友銀行大分支店長板垣正美振出、同銀行東京支店宛の(一)金額百万円の小切手一通(二)金額五十万円の小切手二通以上合計三通の送金小切手を送付して来たので、同月十一日民主党の事務員山家克己に依頼して右三通の小切手を一たん梅林時雄名義の住友銀行東京支店の当座預金口座に預け入れ、即日梅林時雄振出同支店宛小切手番号FZO四五一三金額五十万円の小切手によつて右預金口座から現金五十万円を引き出す方法によつて梅林時雄が同日山家から受領したものであつて、梅林時雄は、同日夜綾部被告人とともに前記外務大臣官邸においてこれを芦田被告人に贈与したことが、それぞれ認められるのである。
第七節 右金員贈与の趣旨
この点については、
一、本章第二節中梅林時雄の経歴及び同人と梅林土木との関係についての認定事実
一、同第三節第一中綾部被告人と梅林時雄との関係、第二綾部被告人と芦田被告人との関係及び第三芦田被告人と梅林時雄との関係についての認定事実
一、同第六節中本件金員の出所についての認定事実
一、被告人綾部健太郎の当公廷における供述
一、原審第八回公判調書中被告人綾部健太郎の供述記載
一、原審第十回公判調書中被告人芦田均の供述記載
一、原審第七回公判調書中原審相被告人梅林時雄の供述記載
一、栗栖事件における第二審証人梅林襄に対する訊問調書中同証人の供述記載
一、同事件における第二審証人植田五郎に対する訊問調書中同証人の供述記載
一、綾部健太郎に対する検事の昭和二十三年十二月二十八日付聴取書中同人の供述記載
一、芦田均に対する検事の同月二十二日付聴取書中同人の供述記載
一、梅林時雄の検事に対する昭和二十四年一月六日付(梅林・検事記録全三冊の一中のもの)中同人の供述記載
一、梅林襄の検事に対する同月十日付供述調書中同人の供述記載
一、梅林土木株式会社提出にかかる昭和二十三年十二月二十九日付「梅林時雄、同襄、同忠春所有不動産資産表」と題する書面の記載
一、同会社提出にかかる「自昭和二十二年三月至同二十三年十月梅林時雄ヘノ仮払金一覧表」と題する書面の記載
一、押収にかかる「仮払内訳明細表二十点一括」のうち、昭和二十四年一月十一日付梅林土木株式会社植田五郎作成名義の「梅林時雄より梅林土木株式会社に名義変更したる不動産一覧表」(前同押号の(ハ)の三一二四のうち)の存在及び記載
一、押収にかかる
(一) 昭和二十二年十二月九日付株式会社住友銀行大分支店長板垣正義振出、同銀行東京支店宛金額百万円の小切手一通及び金額五十万円の小切手二通(前同押号の(ハ)の三一一〇)の存在及び記載
(二) 同年同月十一日付梅林時雄振出同銀行東京支店宛金額五十万円の小切手一通(前同押号の(ハ)の三一〇九)の存在及び記載
(三) 梅林時雄名義株式会社大阪銀行東京支店当座勘定出入記入表(前同押号の(ハ)の三一四一の一)の存在及び記載
を総合すると、
梅林時雄は、
(一) 昭和二十二年四月に衆議院議員に当選した当時綾部被告人より政治家たるものの行動心掛等について指導を受け、かつ、同被告人の忠言に従い、芦田被告人に師事して政治に専念すべきことを決意したこと
(二) 衆議院議員に当選後間もなく自己の政治資金を調達するため、価格千万円以上と見られる自己の不動産一切を換価してこれに充てることを決意し、同年四、五月頃梅林土木の社長たる実弟梅林襄に対し、名義書換等に要する権利証、白紙委任状、印鑑等を引き渡して右不動産の処分一切を委任し、その代金の先払として送金されたい旨希望し、襄はこれを承諾した上、会社がその不動産を買い受ける予定の下にその代金の先払として送金することとし、また、時雄の依頼で同人所有の機械類の一部を他に売却し、その不動産の先払代金や機械類の売得金は合計金三百万円乃至金四百万円に上つたが、梅林土木においては資金の都合上、金員の調達ができ次第順次これを梅林時雄に送金したこと、なお、会社が立替支弁した同人の政治生活上の費用は、後日右各処分代金中から精算する予定であつたこと
(三) 前記認定のように同会及び党内における各要職に就き、その職務に勉励し、一方政策問題研究等の目的で東京政治経済研究所なる研究機関を設けて、研鑚に資し、また、機会があれば、党や芦田総裁のために政治資金を調達することが資力のある自己の責務であり、自己の努力研鑚と相俟つて総裁の信任を得、将来大臣となる機会にも恵まれるであろうことを信じていたこと
(四) 昭和二十二年十二月九州における民主党の各大会が開催されるため帰郷したこと、その各大会には、民主党より芦田総裁を初め大臣、代議士ら約二十名が出席し、十数名の報道関係者が随行したこと、なお、地方の党の大会にはその地区出身の代議士がその経費を負担する慣例であり、宮崎、大分両地方を通じその費用負担の能力ある代議士は梅林時雄以外にはなかつたこと
(五) 右帰郷に先立ち同年十二月初旬頃、綾部被告人と相談の上、芦田被告人が右各大会に出席するための費用等の一部として金五十万円を同被告人に献金することとし、これをもつて、芦田総裁の信頼にこたえるとともに、政界における栄達の好機としようと考え、その献金に充てるため、前記不動産の先払代金として梅林土木から送付を受けた合計金二百万円の住友銀行大分支店長板垣正義振出の送金小切手三通を同月十一日同銀行東京支店の同人の当座預金口座に振り込み、即日同人名義の金五十万円の小切手で金五十万円を引き出した上、同日綾部被告人とともに外務大臣官邸で芦田被告人に対し、右各大会に出席する同被告人の労をねぎらい、梅林時雄より旅費として受領せられたい旨を申し述べて右金員を手交し芦田被告人もその好意を感謝してこれを受領したが、その際梅林土木や建設本部に対する政府支払の促進に関することは全然話題に上らなかつたこと
が、それぞれ認められるのである。
以上認定の(一)乃至(五)の各事実を総合すると、右献金は、梅林時雄が綾部被告人と相談の上、同人らの郷里等で開催される前記各大会に出席する芦田被告人に対し、平素の知遇にこたえるとともに政界における自己の地位の向上、確保に資するため、芦田被告人が前記各大会に出席するための費用等の一部として同被告人に贈られたもので、綾部被告人も右献金の相談を受けた際、右のような梅林時雄の気持を察知してこれに賛成し、年来の親友である芦田被告人の右出張の労をねぎらうため梅林時雄と同道したに過ぎないことが明らかであり、記録を調査しても、政府支払の促進について同被告人に尽力を請託した謝礼の趣旨で右金員を同被告人に供与したという事実を確認するに足りる証拠はなく、また、梅林時雄が単独でかかる趣旨のもとに右金員を同被告人に供与したことを肯認するに足りる証拠もないのである。
もつとも、この点に関しては、右認定に反し、あたかも検事の主張に添うようにみえる後記(A)(B)(C)(D)の各資料があるからこれについての判断を付加することとする。
(A) 衆議院議員当選後の梅林時雄と梅林土木及び建設本部との関係
これに関する事実として、さきに本章第二節において原審相被告人梅林時雄が衆議院議員当選後は梅林土木や建設本部との関係を断つたという主張を排斥するにあたつて認定した同節掲記の(一)の(1)(2)及び(二)の各事実のほか右各事実の認定について挙示した各証拠と、
一、原審第二十八回公判調書中証人川崎栄治の供述記載
一、原審第三十六回公判調書中証人橘秀雄の供述記載
一、原審における証人後藤武夫に対する各訊問調書中同証人の各供述記載
一、押収にかかる
(イ) 昭和二十二年十月十五日付梅林襄より川崎栄治に宛てた書信(前同押号の(ハ)の二六七〇の三)
(ロ) 昭和二十三年七月六日付及び同年八月二日付二宮金蔵より橘秀雄に宛てた各書信(同押号の(ハ)の二六七七の六及び七)
(ハ) 梅林時雄より橘秀雄に宛てた書信二通(同押号の(ハ)の二六七七の八及び九)
(ニ) 右(ハ)の各書信に使用された封筒の裏面の各記載
とを総合して認められる。
梅林時雄は、東京都内の会社施設を無償で使用又はこれに宿泊し、会社の社員や運転手等を自己の私用に使用し、衆議院議員の肩書のある自己の名刺に会社及びその東京出張所の所在地を併記していた各事実がある。
しかし、梅林土木との関係についていえば、本章第二節掲記の(一)の(1)(2)及び右各事実のように、梅林時雄が梅林土木の相談役に就任し、その手当を受けていたこと、会社から便益を供せられ、あるいは会社の便益を利用していたこと、会社から重要な事項について相談を受け、ある程度その実現について尽力していたこと等は、同人と会社との従来からの関係からすれば、いずれもあえて異とするに足りないものであり、ことに、栗栖事件における第二審証人梅林襄に対する訊問調書中同証人の供述記載や同事件における第二審証人植田五郎に対する訊問調書中同証人の供述記載によれば、同会社の社長が退任したのちはこれを相談役にすることが同会社の慣例であり、また、前記本節の(二)において認定したとおり、同会社においては、同会社が梅林時雄の政治生活上立替支弁した費用は後日同人が同会社に処分を委任した不動産その他の処分代金中から精算する予定であつたことが認められるのである。
次に、建設本部との関係についていえば、本章第二節掲記の(二)のように、梅林時雄が衆議院議員当選後も建設本部の事業上の大綱を掌握し、建設本部所属の各土木建築請負業者に対する政府支払の促進について、各業者から同業出身の代議士としてその活躍を期待されていたことは、同人が本部長としての職責を有する限り当然のことであつて、これまた異とするに足りないものといわなければならない。ことに検事に対する梅林時雄の昭和二十四年一月六日付供述調書(梅林・検事記録全三冊の一中のもの)中の同人の供述記載や原審第三十回公判調書中本条守の供述記載を総合すると、梅林時雄は建設本部長の地位にあつた約二年間は本部よりの手当の支給を辞退し、無報酬で勤務し、百数十万円の本部機密費にも手をつけず、退職の際も金十万円を退職金として受領したに過ぎなかつたことが認められるのである。
(B) 検事に対する梅林時雄の供述
一、梅林時雄に対する検事の昭和二十三年十二月三十一日付聴取書第二項には、昭和二十二年十二月十一日頃綾部さんと二人で相談して芦田さんに持つて行つたときは、私の気持としては梅林組の政府支払の促進に関し私も話をし、綾部さんもいろいろお願いし、梅林組を含む三十一社の大分地区占領軍工事建設本部の政府支払の促進に関しては私もお願いし、芦田さんにはお世話になつているので、その感謝の気持と、更にもう一つ民主党員としていろいろ政治上の指導を受けており、世話になつているので、その感謝の気持と以上二つの事項について将来もよろしくお願いしたいという気持から現金五十万円を持つて行つて差し上げた、私は前回純然たる政治献金であるといつたが、梅林組の営業を担当している綾部さんにも相談し、綾部さんも賛成してくれ、二人で持つて行つたものであるから、差し上げるときの気持が以上申し述べたようなものであつたことは真実であり、俗にいう魚心あれば水心という気持があつたことは相違ない、綾部さんも口に出していわなかつたが同じ気持であつたと思う旨の記載
一、同人の検事に対する昭和二十四年一月六日付供述調書(梅林、検事記録全三冊の一中のもの)第一項には、政府支払促進に関し、芦田さん、栗栖さんに頼んだ顛末や、この件に関し、両氏がいろいろ心配してくれた事情や、これに対する感謝の気持と今後もよろしくという考えと更に政治資金の一部を援助しようという気持で芦田さんには昭和二十二年十二月に金五十万円を差し上げた、この顛末はすべて今迄どおりである旨
同第三項には、弟襄に対しては政府支払の問題について栗栖さん、芦田さんを煩わしいろいろと世話にもなつているので政治資金援助という名義で相当金を出しているということも話してある旨
同第七項には、芦田さん、栗栖さんもいろいろ心配してくれた結果、政府としても昭和二十二年末における政府支払は、会計法、予算決算及び会計令臨時特例により概算払で九十パーセント迄受けることができた、その結果梅林土木としても一億三千万円余のうち、十二月初から末までに臨時特例により五千三百万円余、これによらないで千九百万円余合計約七千二百万円の政府支払を受けることができた旨
同第八項には、かような事情から芦田さん、栗栖さんにもいろいろ世話になつたので、会社の政府支払、建設本部関係の政府支払等についていろいろお世話になつた感謝の気持から政治資金の一部を援助しようという気持で金を差し上げた事情は今迄申し述べたとおりである旨
同第十一項には、栗栖さん、芦田さんに差し上げた金がコンミツシヨンの性質を持つている金ではなく、いろいろ政府支払の件についてお世話になつた感謝の気持から差し上げたものであることが判ると思う旨
の各記載
一、同人の検事に対する昭和二十四年一月六日付供述調書(検事追送書類(一)中のもの)第五項には、また、昭和二十二年十二月上旬芦田さんが民主党の九州大会に行くとき、いろいろ世話になつているので旅費の一部として五十万円持つて行つて上げたいと相談したとき綾部さんは喜んで賛成し、芦田君が郷里に行つてくれるなら僕も礼をいいに一緒に行こうといい、十二月十一日頃の夜、芦田さんの所へ行つた旨の記載
がある。
右各供述記載部分は、いずれも検事の主張に添う有力な資料であるが、昭和二十三年十二月三十一日前に検事に対し、右のような供述をしたことは記録上これを確認する証拠はないのであるから、右各供述記載については、慎重にその信憑力を検討しなければならない。
一、原審第七回及び第十三回各公判調書中原審相被告人梅林時雄の各供述記載
一、原審第二十四回公判調書中証人仲野一の供述記載並びに同公判調書末尾に添付された東京拘置所医師中野一作成にかかる梅林時雄に対する昭和二十三年十二月二十六日付、二十七日付、二十八日付、三十一日付昭和二十四年一月四日付及び昭和二十三年(昭和二十四年の誤記と認める)一月六日付各診断書並びに東京拘置所内の同人に対する診療簿の写の各記載
一、原審第三十六回公判調書中証人橘秀雄の供述記載
一、原審における証人膳所正威に対する訊問調書中同証人の供述記載
一、梅林時雄に対する検事の昭和二十三年十二月二十四日付訊問調書、同日付、同月二十八日付及び前記同月三十一日付各聴取書中同人の各供述記載
一、梅林時雄の検事に対する昭和二十四年一月六日付(計二通)及び同月八日付各供述調書中同人の各供述記載
一、本件記録に編綴されている
(イ) 梅林時雄に対する逮捕状及び勾留状の各記載
(ロ) 収容者身分帳簿写(原審公判記録三五六五丁以下)の記載
を総合すると、
梅林時雄は、昭和二十三年十二月二十四日逮捕され、即日東京拘置所に収容され、昭和二十四年一月十一日保釈されるまで同所に勾留されていたが、その間昭和二十三年十二月二十四日、同月二十八日、同月三十一日、昭和二十四年一月六日及び同月八日に合計七回にわたり、同人の検事の訊問調書、聴取書又は供述書が作成されていること、そのうち、第一、二回分を除き、他の五回はいずれも東京拘置所内でその取調がなされていること、昭和二十三年十二月三十一日前の三回の取調に対しては、梅林時雄は全員授受の趣旨が検事主張のようなものであることを肯定しなかつたのであるが、右十二月三十一日の取調に対し、初めて、前記のように金員授受の趣旨が検事主張のようなものであることを肯定する供述をするに至り、その後の取調に対しても、同趣旨の供述を維持していたこと、同人は昭和十八年頃肺浸潤になつた病歴があつて、昭和二十三年中にも二回位喀血したことがあり、その前駆症状として下痢を伴うことが多かつたのであるが、右拘置所に収容された直後である昭和二十三年十二月二十六日頃下痢腹痛の症状があり、体温三七度一分粥食をして横臥し、喀血の前駆症状ではないかと心配していたところ、昭和二十四年一月三日午後三時頃喀血し、肺結核の疑あるものと診断されたこと、前記梅林時雄に対する検事の昭和二十三年十二月三十一日付聴取書は、右下痢腹痛を起し、同人が喀血の心配をしていた状態において、また、前記同人の検事に対する昭和二十四年一月六日付供述調書二通は、同人が喀血した昭和二十四年一月三日の三日後に、それぞれ作成されていること、昭和二十三年十二月衆議院が解散され、総選挙の期日が昭和二十四年一月と定められ梅林時雄は同人が逮捕された昭和二十三年十二月二十四日頃は既に再度、立候補の決意を有していたので、選挙運動に最も重要な期間に身柄を拘束されていることは、同人にとつて相当苦痛で、一日も早く出所したいと念願していたと推察されること、しかしながら他方においては、同人は東京拘置所内においては、検事の取調を受けるには何ら差支ない健康状態にあり、喀血した直後である昭和二十四年一月四日頃拘置所内で禁を犯し、相当長文の選挙演説の草稿を書いたのを発見せられたこと、同月十一日保釈出所し、二日位休養しただけで、同月十三日選挙区である大分県下へ出発し、同月十五日にはラジオ放送によつて演説し、その後六日間に百四十数ヶ所で街頭演説をしていることがそれぞれ認められるのである。
以上の事実関係によれば、梅林時雄が検事に対し、前記昭和二十二年十二月三十一日付聴取書第二項記載のような供述をした事情について、原審第七回公判において弁解した事実中、同人が検事の取調に対し、最初は金員授受の趣旨が検事主張のようなものであることを否認していたこと、同人が東京拘置所内で下痢腹痛に引き続いて喀血したため、自己の健康についてある程度心配をしていたこと、前記昭和二十三年十二月三十一日付聴取書は、同人が前認定のとおりの病気となつたのちに作成されていること、同人が昭和二十四年一月に行われた衆議院議員の総選挙に立候補する関係で、できるだけ早く保釈を得て出所したいと考えていたであろうことは、これを認め得るのであるが、その余の事実即ち、東京拘置所の係官が同人から医師の診断を受けたい旨の申出があつたにもかかわらず、これを無視した事実及び前記昭和二十三年十二月三十一日付聴取書第二項の供述記載は、梅林時雄が医師の診断を受けたい旨の右申出を無視されたため、自己の健康について非常に心配して、この寒さにいつまでも放つておかれては選挙どころではなくなると考えたことだけが原因となつて妥協的になり、検事から詳細に作文されたものを読み聞かされこれを承認した結果によるものであるという事実はこれを認めるに足りる証拠はないのである。
しかし、他方前記聴取書及び供述調書の各供述記載も、これを全面的には措信できないのである。右聴取書第二項の供述記載中、梅林時雄及び綾部被告人が芦田被告人に対し政府支払の促進について依頼したこと、梅林時雄が芦田被告人から政治上の指導を受けていたこと、本件金五十万円が政治献金として梅林時雄から芦田被告人に贈与されたことについては、本章第三節、第四節及び本節において認定した各事実と合致していて措信できるのであるが、その余の部分である梅林時雄が政府支払の促進に関し芦田被告人の世話になつていてその感謝の気持とこれについて将来もよろしくという気持を含めて右金員を贈与したとの部分については、本章第五節及び本節において認定した事実と対比して考察すると、これを措信できないものといわなければならない。即ち、右聴取書には芦田被告人にいろいろお願いし、お世話になつたと記載されているが、その記載自体極めて抽象的であつて、これによつて梅林土木や建設本部がどのような世話になつたかが明らかでないのであり、本章第五節で認定したとおり、芦田被告人が本件金員を受領するまでに、政府支払の促進に関し尽力したのは、同節の(五)についてと題する項の梅林時雄の依頼により部下に命じて第八軍からの通牒の到達の有無を調査させた上、右通牒が到達していることを答え、右通牒の趣旨によつて政府支払の促進に努力する旨を述べたに止まり、それ以上なんら梅林時雄らの請託実現のために尽力したことがないことが明らかであるから、世話になつたという実質もその程度に過ぎなかつたものというべきである。しかのみならず、芦田被告人のこの程度の世話は、相互に信頼し合つていた民主党総裁たる芦田被告人と同党員であつた梅林時雄との間においては取りたてていう程でもない些細なことであるから、梅林時雄がこれに対し特に金員を贈与して感謝の意を表わすことが当然である程特別のものではなかつたと考えられるし、更に、本節(一)乃至(五)で認定した事実、なかんずく梅林時雄が芦田被告人に贈与した本件金五十万円は、同人個人の負担において、同人政治上の地位の向上、確保に資するために贈られたことと対比すると、同人が芦田被告人の前記行為に対しこれを感謝し、将来もよろしくという趣旨で本件金員を芦田被告人に供与したものとは到底解し得られないのである。
以上説明のとおり、前記昭和二十三年十二月三十一日付聴取書第二項の梅林時雄の供述記載は、一部措信できる部分と措信できない部分とがあるのであるが、措信できない部分は、同人が衆議院議員選挙に出馬するため、一日も早く保釈を得て出所したいという念願が主たる原因となり、これに同人が自己の健康について憂慮していたことが従たる原因となつて、検事の取調に対し迎合的な態度をとつた結果によるものであると解すべきである。また、右聴取書が作成されたのちに作成されたと認められる前記昭和二十四年一月六日付各供述調書中右金員贈与の趣旨に関する部分も、右と同様に、梅林時雄が右選挙のため一日も早く保釈を得て出所したいと考えていたことが主たる原因となり、これに同人が自己の健康について憂慮していたことが従たる原因となつて、検事の取調に対し、前同様迎合的な供述をした結果によるものであると考えられるから、これまた措信できないものといわなければならない。
(C) 検事に対する綾部被告人の供述
綾部健太郎の検事に対する昭和二十四年一月七日付供述調書第十九項には、一昨年十二月半頃梅林と二人で外相官邸に持つて行つて芦田氏に渡した五十万円の趣旨につき私は右のように梅林土木のため政府支払の促進について何回も芦田氏に頼んでおり、種々その促進に尽力してもらつているのでこの頼みの謝礼の趣旨で梅林と相談して芦田氏にこの金を差し上げたものであると解釈されるのが常識的であり、これは決して無理な解釈とは思われず、左様に解釈されるのが当然で私としてもそう認められても致し方ないと思います、という記載がある。
そして、右供述記載によれば、本件金五十万円は梅林時雄と綾部被告人とが相談の上、梅林土木に対する政府支払の促進に関する尽力についての感謝の気持から芦田被告人に供与したということを肯定したようにも解釈されるから、その信憑力について検討すると
一、綾部被告人の当公廷における供述
一、原審第八回公判調書中綾部被告人の供述記載
一、原審第七回公判調書中原審相被告人梅林時雄の供述記載
一、綾部健太郎に対する検事の昭和二十三年十二月二十七日付訊問調書中同人の供述記載
一、同人に対する検事の同日付及び同月二十八日付各聴取書中同人の各供述記載
一、同人の検事に対する昭和二十四年一月七日付及び同月八日付各供述調書中同人の各供述記載
一、梅林時雄に対する検事の昭和二十三年十二月三十一日付聴取書中同人の供述記載
一、同人の検事に対する昭和二十四年一月六日付供述調書(梅林、検事記録全三冊の一中のもの)中同人の供述記載
を総合すると、
検事は昭和二十四年一月七日綾部被告人に対する取調の際同被告人に対し、同被告人が梅林土木のため政府支払の促進について何回も芦田被告人に頼んでおり、種々その促進に尽力してもらつているので、右金五十万円は、この頼みの謝礼の趣旨で梅林時雄と相談して芦田被告人に供与したものとみるのが常識的であつて、そうみるのは決して無理な解釈ではないと思われるがどうかという趣旨の問を発して綾部被告人の飜意を求め、同被告人は常識論としてはそう解釈することは無理ではなく、さように解釈されるのが当然であるから、自分としてもそう認められても致し方がない旨の前掲の供述をしたものと推測されるのである。しかるに前掲の綾部被告人の当公廷における供述、原審第八回公判調書中同被告人の供述記載及び綾部健太郎の検事に対する昭和二十四年一月七日付供述調書中同人の供述記載によれば、同被告人は右供述に引き続いて、しかし、自分の場合はそれとは違い、前にも述べたように芦田氏が九州各地の大会に出席されるのでその費用として差し上げるものと思つていたという趣旨を述べ、もつてその当時の自己の真意を明らかにすると同時にこれを調書に記載されたい旨を求め、検事も同被告人の希望を容れ、同日付供述調書第十九項の末尾にその旨を記載せしめたものと推測されるのである。
以上の各認定事実を総合すれば、前掲昭和二十四年一月七日付供述調書第十九項の供述記載は綾部被告人において、右金員贈与の趣旨が検事主張のような賄賂であることを肯定したものと解することはできないのである。
(D) 検事に対する梅林襄の供述
梅林襄の検事に対する昭和二十四年一月十日付供述調書第七項には、昭和二十二年十一月末か十二月上旬に確か東京駐在の清水監査役が兄時雄の書面を持つて来た、その書面には会社のことで政府支払の促進について芦田さん、栗栖さんらに世話になつているので少し政治献金をしたいから、すけてもらえないだろうかという意味のことが書いてあつた。私はそれで二百万円金を送つてやつた、お示しの昭和二十二年十二月九日付板垣正美振出住友銀行東京支店宛金額百万円一通、五十万円二通合計小切手三通は右の二百万円を送つたときのものに間違ない、この小切手は、住友銀行支店の会社の口座から金を引き出して送金小切手にして兄時雄のところへ送つたものである。受け取つた書面はその後焼き棄てた、翌二十三年一月兄が上京する前項であつたと記憶しているが、党に献金したいから少し出してくれないかという話があつたが、私は会社が困るから駄目だといつて兄の頼みを断つた旨の記載がある。
右供述記載部分は検事の主張を裏付ける有力な傍証であるような観があるから、その信憑力を検討することとする。
一、原審第三十七回及び第三十八回公判調書中証人梅林襄の各供述記載
一、栗栖事件における第二審証人梅林襄に対する訊問調書中同証人の供述記載
一、梅林襄に対する検事の昭和二十三年十二月二十九日付各聴取書(計二通)中同人の各供述記載
一、梅林襄の検事に対する昭和二十四年一月十日付及び同月十二日付各供述調書中同人の供述記載
一、本章第五節の(五)についてと題する項及び第六節において認定した各事実
一、本節(一)乃至(五)において認定した各事実を総合すると、
一、梅林時雄は、昭和二十二年四月衆議院議員に当選した当時、綾部被告人より受けた忠言に従い、芦田被告人に師事して政治に専念すべきことを決意し、その政治資金調達のため、先ず、梅林土木の社長たる弟襄に対し、今後相当の政治資金を会社から援助してもらいたいという要求をしたが、襄は、会社が援助することは第二で、とにかく相当な不動産を持つているのだから、政治資金が必要なら、先ず、その不動産を処分して金を作つたらどうかということを答えたので、時雄は右返答に相当不満のようであつたが、結局、同人の有する価格合計千万円以上と称せられていた不動産一切を換価して政治資金に充てることを決意し、襄に対し、右不動産の名義書換等に要する権利証、白紙委任状、印鑑等を引き渡して右不動産の処分一切を委任し、その代金の先払として送金を受けたい旨希望し、同人の承諾を得たこと、
二、梅林襄は、右約定に従い、右不動産の一部を会社が買い受ける代金の先払として、梅林土木から梅林時雄に対し、昭和二十二年十二月九日付住友銀行大分支店長板垣正美振出、同銀行東京支店宛の(一)金額百万円の小切手一通(二)金額五十万円の小切手二通の送金小切手を送付して来たこと、
三、右供述調書第七項に記載されたように、梅林時雄から手紙で送金を依頼されて梅林襄が昭和二十二年十二月九日付板垣正美振出、住友銀行東京支店宛金額百万円一通、五十万円二通合計三通の送金小切手によつて時雄に送金したと述べている金員と右二、に認定した金額合計二百万円の小切手合計三通とは同一のものであること、右供述調書第七項の金二百万円は梅林襄が梅林時雄所有の不動産を梅林土木が買い受ける代金の先払として時雄に送金したものであること、また、一方、同供述調書第五項記載の梅林襄が梅林時雄に渡した約金四百万円と梅林襄に対する検事の昭和二十三年十二月二十九日付聴取書(第二回)中第二十三項記載の約四百万円のうちには、右供述調書第七項記載の金二百万円が含まれていて、これは梅林襄が兄時雄の依頼によつて梅林土木が買い受ける時雄所有の不動産の先払代金として時雄宛に送金して来たものであること、
四、右供述調書第七項記載の、少し政治献金をしたいからすけてもらえないだろうかという意味は、これをもつて直ちに梅林土木の計算において出金を求めることにあるものとは解し難く、却つて前記時雄所有の不動産の先払代金を送金してもらいたいという意味に解するのが相当であること、
五、右供述調書第七項には梅林時雄が政府支払の促進について芦田被告人らの世話になつていると記載されているけれども、その実質は、芦田被告人と梅林時雄との関係についていえば、既に本章第五節の(五)についてと題する項において認定した昭和二十二年九月頃及び同年十一月頃芦田被告人が梅林時雄の依頼により秘書官である下河辺被告人や外務事務官平原毅に命じ、第八軍から占領軍関係工事請負業者に対する政府支払の促進に関する通牒が終戦連絡中央事務局に到達しているか否かを調査させた程度のことであつて、この事実は、前記(B)において説示したとおり、芦田被告人と梅林時雄との間においては取り立てていう程でもない些細なことであるから、芦田被告人に対し巨額な政治献金をして感謝の意を表わすことが当然である程特別のものではなく、また梅林土木としては同会社に対する政府支払の促進について芦田被告人に対し、会社の計算において巨額の政治献金をするようなことまでは考えていなかつたこと
六、梅林時雄は、右送付を受けた金二百万円の資金によつて、昭和二十二年十二月十一日金五十万円を贈与したのであるが、その趣旨は、同人の政治上の地位の向上、確保に資する目的で、芦田被告人の九州における民主党の各大会に出席するための費用等として出捐された単なる政治献金であり、梅林土木等に対する政府支払の促進には何ら関係がないものであること
がそれぞれ認められるのであるから、右供述調書第七項の供述記載は、右各認定と矛盾する限度において措信できないものといわなければならない。
もつとも、
一、原審第三十七回及び第三十八回各公判調書中証人梅林襄の各供述記載
一、栗栖事件における第二審証人梅林襄に対する訊問調書中同証人の供述記載
一、梅林襄に対する検事の昭和二十三年十二月二十九日付各聴取書(計二通)中同人の各供述記載
一、同人の検事に対する昭和二十四年一月十日付供述調書中同人の供述記載
一、梅林忠春の検事に対する同月十一日付供述調書中同人の供述記載
を総合すれば、
一、梅林土木は、梅林襄とその義弟梅林忠春の朝鮮における活躍によつて産をなしたものであるが、それがため梅林時雄は父宇十郎の存命中日本内地において相当な不動産等を取得するに至つたが、梅林時雄が施行した梅林土木の工事は、ほとんど成績があがらず、これに反し襄や忠春が朝鮮において施行したものによつて梅林土木は世間に認められるようになつたこと
一、梅林襄は、右のような梅林土木における時雄、襄及び忠春らの関係からいえば、時雄が会社のために多少の不動産を犠牲にして出金する位のことは当然であると考えていたこと
一、梅林宇十郎は、生前、時雄、襄両兄弟のことを常に心配して、襄は地味な確実な男であり、梅林土木の事業は襄に任せておけば大丈夫であるが、時雄は派手でこり性であり、同人に事業を任すことは心配である、時雄は戦時中相当な土地建物を手に入れて物持ちであるから、時雄が政治をやるについて会社から援助する必要はないが、襄、忠春は引揚者であり、資産もないのだから、会社をもり立ててやつて行くようにということを屡々いつていたこと、
がそれぞれ認められ、この事実関係からすれば、梅林襄ら梅林土木の関係者としては、梅林時雄が自己所有の不動産の先払代金として送付を受けた金員をもつて、梅林土木のため政府支払の促進に関する芦田被告人らの尽力に対する感謝のための政治献金として使用すること、即ち、梅林時雄が自己の負担において梅林土木のために政治献金をしてくれることはこれを希望するところであつて、その希望の趣旨をも含めて、処分を一任された不動産の先払代金として、前記のとおり、金二百万円を送金したものであると解する余地がないわけではないのであるが、前記説明のとおり、梅林時雄は、芦田被告人に梅林土木の政府支払の促進に何ら関係のない単なる政治献金として本件金五十万円を贈与したのであるから、梅林襄ら梅林土木の関係者が前記のような希望の趣旨を含めて前記金員を送付したとしても、梅林時雄の本件金五十万円の贈与行為の性質に影響を及ぼすものということはできない。
なお以上認定のとおり、右供述調書第七項の供述記載中、梅林時雄が梅林襄に対して送つた手紙の内容については、その文意不明確で、検事の主張に添うような趣旨には解し難いのであるが、かりに右手紙の内容に梅林土木の政府支払に関し、芦田被告人らに世話になつているので政治献金をしたいとの意味のことが書かれていたとしても、既に説明したとおり、梅林時雄が前記金二百万円の送付を求め、これによつて本件金五十万円を芦田被告人に贈与した趣旨は、単なる政治献金としてであつたことと対比して考えてみると、梅林時雄としては自己所有の不動産の処分代金をもつて政治資金に充てることを承諾したのであるから、その先払代金として送金を受けた金員は、結局自己の負担に帰することになるのであるが、先払代金として梅林土木から支出され、その送金も会社の経理状態が悪かつた関係から、制約を受けざるを得ない関係にあつたので、右先払代金を速かに送金させる手段として、その真意ではない政府支払に関する芦田被告人らに対する政治献金という理由を付して、前記のような手紙を梅林襄に送つたものと解する余地もないわけではないから、このような梅林時雄の真意でない、単に梅林土木から送金を求める便宜に過ぎないものと解せられる右手紙の内容を検事の主張に添うような趣旨に解することはできないのである。
してみれば、綾部被告人に対する公訴事実、即ち同被告人が梅林時雄と共謀の上、昭和二十二年十二月十一日外務大臣官邸において芦田被告人に対し金五十万円を贈賄したとの事実については、金員授受の点は認められるけれども、その授受の趣旨が賄賂であるという点についてはこれを認めることができず、右金員は、前叙のような単なる政治献金と解せられるのであるから、綾部被告人の前記行為は贈賄罪を構成しないものであつて、同被告人に対する本公訴事実は、結局犯罪の証明がないものといわなければならない。
第六章 被告人芦田均に対する公訴事実の判断
芦田被告人に対する公訴事実は、(1)富永被告人(川橋被告人及び北浦圭太郎共謀)から金百万円を収賄したとの事実(2)昭和二十二年中梅林時雄(綾部被告人共謀)から金五十万円を収賄したとの事実(3)昭和二十三年中梅林時雄から金五十万円を収賄したとの事実(4)公正証書原本不実記載同行使の事実より成るものであるから、右各事実について順次判断することとする。
第一節 富永被告人(川橋被告人及び北浦圭太郎共謀)より金百万円を収賄したとの公訴事実に関する判断
本公訴事実に対応する富永、川橋被告人に対する贈賄の公訴事実については、本件金員の贈与が、芦田被告人の職務に関してなされたものではなく、贈与者側である富永、川橋両被告人の行為は、贈賄罪を構成せず、結局、犯罪の証明がないことは、既に第三章において説明したとおりである。しかも、右第三章の認定事実、芦田被告人の当公廷における供述及び芦田均に対する検事の昭和二十三年十二月七日付聴取書中同人の供述記載を総合すれば、芦田被告人が富永被告人の依頼によつてなした行為は、自己の所管外のことに関する単なる紹介行為に止まるものであり、同被告人としても、これを自己の職務とは関係のないものと考えていたため、本件金員贈与の際も、右金員は自己の職務には関係のない単なる政治献金として贈与されるものと信じてこれを受領したことが認められるのである。従つて、いずれの点からみても、芦田被告人の右行為は、受託収賄罪を構成しないのはもとより、単純収賄罪をも構成しないものであつて、同被告人に対する本公訴事実は結局犯罪の証明がないものといわなければならない。
第二節 昭和二十二年中梅林時雄(綾部被告人共謀)より金五十万円を収賄したとの公訴事実に関する判断
本公訴事実中(一)芦田被告人が外務大臣兼終連総裁であつたこと (二)同被告人が綾部被告人及び梅林時雄の両名から梅林土木や建設本部の政府支払促進に関して依頼を受けたこと (三)芦田被告人が昭和二十二年十二月十一日外務大臣官邸において右両名から金五十万円の贈与を受けたことは、いずれも既に第二章及び第五章において認定したところによつて明らかであり、また、綾部被告人及び梅林時雄が贈与した右金員は検事所論のような賄賂ではなく、単なる政治献金であつて贈与者側である綾部被告人の行為は、贈賄罪を構成せず、同被告人に対する公訴事実については、結局犯罪の証明がないことは、既に第五章において説明したとおりである。しかも、
一、被告人芦田均の当公廷における供述
一、原審第十回公判調書中同被告人の供述記載
一、芦田均に対する検事の昭和二十三年十二月二十八日付聴取書中同人の供述記載を総合すれば、芦田被告人においても、綾部被告人及び梅林時雄の両名から贈られた金五十万円を単なる政治献金であると信じて受け取つたことが認められるのである。
第三節 昭和二十三年中梅林時雄より金五十万円を収賄したとの公訴事実に関する判断
第一総説
本公訴事実中芦田被告人が外務大臣兼終連総裁であつたことは既に第二章において認定したところであり、同被告人が梅林時雄から前記外務大臣官邸において金五十万円の贈与を受けたことは、その時期の点を除き、芦田被告人の当公廷における供述によつて明らかである。
そこで、右公訴事実を判断するについては、前章におけると同じく、まず、その前提として、梅林時雄の経歴、同人と梅林土木及び建設本部との関係、綾部、芦田両被告人及び梅林時雄間の各相互の個人的関係、綾部被告人と梅林土木との関係、綾部被告人及び梅林時雄が芦田被告人に対し梅林土木や建設本部に対する政府支払に関し依頼をした事実の有無並びに芦田被告人が、右依頼に基き尽力した事実の有無の諸点について判断をする必要があるが、これらの諸点については既に前章において判断したところであるから、ここにすべてこれを引用し、重ねて判断を加えない。
ただ、検事は、右公訴事実について、前章第五節冒頭に掲げた(一)乃至(五)の検事主張事実のほか、芦田被告人が綾部被告人の依頼を受け、これに応じて尽力した事実として、本節第二記載の融資に関する依頼に基く尽力の事実があると主張するから、以下この事実の有無について判断し、進んで芦田被告人が梅林時雄から贈られた金五十万円の授受の日時及びその授受の趣旨について判断することとする。
第二芦田被告人が綾部被告人から梅林土木に対する融資に関する依頼を受け、これについて尽力した事実の有無
芦田被告人が綾部被告人及び梅林時雄から梅林土木や建設本部に対する政府支払に関して依頼を受け、これについて尽力したことがあるか否かについては、前章第五節において判断したとおりであるが検事は、このほかに、
芦田被告人が昭和二十二年十二月二十四日綾部被告人から梅林土木が大分合同銀行から融資を受けるために必要な政府支払金残高証明書の交付を大蔵省に申請しているので速かにこれを発行するように取り計らわれたいとの懇請を受けて承諾し、直ちに大蔵省政務次官小坂善太郎にその旨を指示し、同政務次官をして大蔵省管理局長長沼弘毅に対し、梅林土木より申請にかかる政府支払金残高証明書を速かに発行されたいとの申入れをなさしめている事実があると主張するから、この点について考えてみると、
一、被告人芦田均及び同綾部健太郎の当公廷における各供述
一、原審第十回公判調書中被告人芦田均の供述記載
一、原審第八回公判調書中被告人綾部健太郎の供述記載
一、原審第三十三回公判調書中証人長沼弘毅の供述記載
一、原審第四十五回公判調書中証人小坂善太郎の供述記載
一、栗栖事件における第二審第六十九回公判調書中証人小坂善太郎の供述記載
一、押収にかかる昭和二十二年十二月二十四日付大蔵省管理局長作成名義の証明書(前同押号の(ハ)の三一一七)の存在及び記載
を総合すれば、次の事実が認められるのである。
梅林土木においては、前章第五節に記載された臨時措置による政府支払を受けたのちも、なお、資金繰りに苦しみ、大分合同銀行から融資を受けるのに必要があるため、大蔵省から、同会社が施行している占領軍関係設営工事の代金に関する政府支払金残高証明書の交付を受けようと図り、昭和二十二年十二月下旬社員を上京させて、同月二十四日、大蔵省管理局に右証明書の交付を申請したが、芦田被告人は、同日綾部被告人より、梅林土木が大分合同銀行から融資を受けるのに必要があるため、政府支払金残高証明書の交付を大蔵省に申請しているので、速かにこれを発行するように取り計らわれたいという懇請を受けてこれを承諾し、直ちに大蔵政務次官小坂善太郎にその旨を依頼し、同政務次官をして大蔵省管理局長長沼弘毅に対し、梅林土木より申請にかかる政府支払金残高証明書が発行できるものであれば、速かに発行されたいとの申入れをなさしめ、右証明書(前同押号の(ハ)の三一一七は同一内容の控)は、同日発行を見るに至つた。しかし、大蔵省管理局においては、右小坂大蔵政務次官からの申入れに先だち、既にこれを発行することに決定していたものであり、右政府支払金残高証明書の発行と同政務次官を通じてなした芦田被告人の依頼とはなんらの関係がなかつたのである。しかも、芦田被告人はその当時右申請書類を見たこともなく、その証明を求める事項中に維持管理関係の未払金に関するものを含むことも知らず、これを単なる大蔵省自体の事務と解して右の依頼をなしたものである。
この点に関し、検事は、芦田被告人は当時終連総裁であるとともに、特別調達庁の主務大臣であつたが、
(イ) 右証明書によつて証明されるもののうちには、終連総裁の指揮監督下にある終戦連絡事務局の査定手続中又は支払手続中の維持管理関係の政府支払金合計千八百三十四万五千四百五十四円五十六銭が含まれており、この未払金については、終戦連絡事務局においてこれを証明する事項であり、この金額算出の基礎は同局設営部において初めて明らかとなる事項であつて、大蔵省は単に終戦連絡事務局の査定の結果を証明するに過ぎないものであるから、この証明書の発行、交付に協力することは、芦田被告人が終連総裁として有する権限の行使か又はそれに密接な関係のある行為といわなければならない。
そして、また、終連総裁としての職務権限は、終戦連絡事務局所管の維持管理に関する調達業務を担当することであつて、この調達業務は、広く解して融資斡旋を含むとすべきことは、後記特別調達庁の場合と同様である、けだし、工事の促進は、工事を担当する者の当然の職務であつて、維持管理工事の促進の方法として、その工事の請負者に金融を得させ、工事を進捗させることは、右工事を担当する終連総裁の職務権限中に含まれるものと解すべきであるからである。従つて芦田被告人が梅林土木をして金融を得させるために本件政府支払金残高証明書の発行について尽力したことは、疑もなく終連総裁の職務権限の行使であつたといわなければならない。かりにそうでないとしても、その職務と極めて密接な関係のある行為であることは、同人も否定し得ないところである。
(ロ) また、特別調達庁は、その業務開始以来、連合国官憲の要求にかかる調達に関する業務一切を処理する権限を取得したものであつて、外務大臣は、同庁の主務大臣の一人として同庁の行うべき業務全般にわたつて職務権限を有するものであるから、芦田被告人が右証明書の発行について尽力したことは、特別調達庁の主務大臣として有する占領軍関係工事の促進のため融資斡旋の職務権限を行使したものといわなければならない
と主張している。
そこで、芦田被告人の右政府支払金残高証明書の発行について尽力した行為が検事所論の終連総裁又は特別調達庁主務大臣たる芦田被告人の職務権限に関連する行為であるかどうかについて検討を加えてみると、芦田被告人が当時終連総裁として、また、特別調達庁の主務大臣として、有していた権限は、それぞれ、第二章第二節において認定したとおりであつて、
右(イ)の前半の主張については、右政府支払金残高証明書の証明の対象中に維持管理関係の未払金も含まれていることは、前示証明書(前同押号の(ハ)の三一一七)の記載によつて明らかであるが、かかる未払金については終戦連絡事務局が証明する事項であり、この金額算出の基礎は同局設営部において初めて明らかとなる事項であつて、大蔵省は単に終戦連絡事務局の査定の結果を証明するに過ぎないものであることは検事主張のとおりとしても、右政府支払金残高証明書の交付申請は、梅林土木から終戦連絡事務局とは無関係に、直接大蔵省管理局へなされたものであつて、芦田被告人はその申請書類を見たことはなく、その証明を求める事項中に検事所論の維持管理関係の未払金に関するものを含むことも知らず、これを単なる大蔵省自体の事務と解して、その書類について、小坂大蔵政務次官に対し、発行し得るものであれば、速かに発行されたいと依頼したに止まることは、前認定のとおりである。
また、右(イ)の後半及び(ロ)の主張については、終戦連絡事務局がその業務として融資斡旋を行つていたということは、これを認めるに足りる資料を発見することができないのであり、また、特別調達庁の行う調達に関する業務中に融資斡旋行為が含まれることは、別添第二号中の記載及び証人石破二朗の当公廷における供述によつてこれを認められないわけではないが、右各証拠と原審第三十八回公判調書中証人大槻義公の供述記載とを総合すれば、特別調達庁の融資斡旋業務は同庁作成名義の出来高証明書を発行する程度の方法によつて行つていたことが認められるに過ぎないのである。しかも、芦田被告人が右申請書において証明を求める事項中に維持管理関係の未払金に関するものが含まれていることを知らなかつたことは、右に判断したとおりである。
それ故、芦田被告人の前記行為は、検事の主張するような終連総裁や特別調達庁の主務大臣としての職務権限に属するものでないことはもとより、これと密接な関係のあるものということもできないから、右各検事の主張はすべて認容し得ないところである。
第三右金員授受の日時
本件金員授受の日時を明らかにするがためには、芦田被告人、梅林時雄及び綾部被告人の各供述を比較検討する必要がある。
よつて、
(a) 芦田被告人の供述
一、被告人芦田均の当公廷における供述
一、原審第十回公判調書中被告人芦田均の供述記載
一、芦田均に対する検事の昭和二十三年十二月十九日付、同月二十二日付及び同月二十八日付各聴取書中同人の各供述記載
(b) 梅林時雄の供述
一、原審第七回公判調書中梅林時雄の供述記載
一、梅林時雄に対する検事の昭和二十三年十二月二十四日付、同月二十八日付及び同月三十一日付聴取書中同人の各供述記載
一、梅林時雄の検事に対する昭和二十四年一月六日付(二通)及び同月八日付各供述調書中同人の各供述記載
(c) 綾部被告人の供述
一、原審第八回公判調書中被告綾部健太郎の供述記載
一、綾部健太郎に対する検事の昭和二十三年十二月二十七日付訊問調書中同人の供述記載
一、綾部健太郎に対する検事の同日付及び同月二十八日付各聴取書中同人の各供述記載
一、綾部健太郎の検事に対する昭和二十四年一月七日付及び同月八日付各供述調書中同人の各供述記載
をそれぞれ検討し、更にその結果を総合すれば、梅林時雄が単独で芦田被告人に贈与した金五十万円が授受された時期は、昭和二十三年一月下旬から同年二月上旬までの片山内閣に崩壊の兆があらわれた頃であると認めるのが相当である。
第四右金員授受の趣旨
この点については、
一、被告人芦田均及び同綾部健太郎の当公廷における各供述
一、原審第十回公判調書中被告人芦田均の供述記載
一、原審第八回公判調書中被告人綾部健太郎の供述記載
一、原審第七回公判調書中原審相被告人梅林時雄の供述記載
一、原審第二十三回公判調書中証人大野伴睦の供述記載
一、原審第二十四回公判調書中証人北村徳太郎の供述記載
一、原審第三十一回公判調書中証人椎熊三郎の供述記載
一、芦田均に対する検事の昭和二十三年十二月十三日付及び同月二十八日付各聴取書中同人の各供述記載
一、椎熊三郎に対する検事の同月二十一日付聴取書中同人の供述記載
一、西尾末広に対する検事の同月十九日付聴取書中同人の供述記載
一、水谷長三郎に対する検事の同日付聴取書中同人の供述記載
一、曽根益に対する検事の同月付聴取書中同人の供述記載
一、川崎秀二に対する検事の同月二十一日付聴取書中同人の供述記載
一、小島徹三に対する検事の同日付聴取書中同人の供述記載
を総合すると、
昭和二十三年一月下旬、公務員に対する越年資金支給の財源問題に端を発した社会党の内紛によつて片山内閣崩壊の兆が現われたのであるが、同内閣に芦田総裁以下数名の閣僚を送つていた民主党においては、前年秋に多数の離党者を出し、しかも、党内の勢力は各派に分れ、芦田総裁に帰一しがたく、もし、後継内閣に芦田首班が実現しないような場合には、同党は分裂する虞があり、そのため、芦田被告人は総裁として党内の結束を固くする一方、他党にあつて芦田被告人に共鳴する代議士らに働きかける必要もあつて、いきおい相当の政治資金を必要とする情勢に立ち至つたのであるが、芦田被告人の信頼を受けている梅林時雄もこの情勢を察知し、この際平素の知遇にこたえて是非とも資金的に芦田被告人を援助して芦田内閣を実現させたいと熱望し、併せて政界における自己の地位の向上、確保に資するため、同内閣を実現させるための政治資金の一助として本件金五十万円を贈与したものであり、芦田被告人もこれを単なる政治献金として受領したものと認めるのが相当である。
検事は、芦田被告人は右金五十万円を純粋の政治献金として受領したのではなく、梅林土木等に対する政府支払の促進に関する謝礼の趣旨と政治献金との趣旨を含めて供与されることの情を知つてこれを収受したと主張しその論拠として同被告人が検事の取調を受けた際、当初右金五十万円授受の事実を秘匿していたことを挙げているが、検事の取調の際における芦田被告人の各供述を検討しても、検事の右主張を容認することはできないのである。
もつとも、梅林時雄に対する昭和二十三年十二月三十一日付検事の聴取書第三項中には、同人の供述として本件金五十万円も右聴取書第二項に記載された芦田被告人より受けた尽力に対する感謝の気持とこれについて将来もよろしくという気持のほか、前記政府支払金残高証明書に関する芦田被告人の尽力に対する感謝の気持及び芦田内閣実現のための工作費にあてるための政治資金として贈与されたものであることを思わせるような記載がある。
よつて、右供述記載の信憑力について判断してみると、芦田被告人が綾部被告人及び梅林時雄の政府支払に関する依頼に基き尽力した事実は、第五章第五節の(五)についてと題する項において認定した(一)昭和二十二年九月頃及び同年十一月頃梅林時雄の依頼により下僚をして第八軍から占領軍関係工事請負業者に対する政府支払の促進に関する通牒が終戦連絡中央事務局に到達しているか否かを調査させたこと、(二)本章第二節の第二において認定した昭和二十二年十二月二十四日綾部被告人よりの依頼によつて、大蔵政務次官小坂善太郎をして大蔵省管理局長長沼弘毅に対し、梅林土木より申請にかかる政府支払金残高証明書が発行できるものであれば、速かに発行せられたいとの申入れをなさしめたことの二つであるが、(一)の点については、既に第五章第五節及び同章第七節の(B)において判断したとおり、芦田被告人と梅林時雄との間においては取り立てていう程でもない些細なことで、特に同被告人に金員を贈与して感謝の意を表わすことが当然である程特別のものではなかつたものというべく、また、(二)の点については本節第二において判断したとおり、芦田被告人の行為は、大蔵省管理局において発行すべき残高証明書を速かに発行するように依頼したに止まり、同被告人の終連総裁又は特別調達庁主務大臣としての職務権限とは無関係の行為であることも右第二において判断したとおりである。
しかも、
一、本節第二中政府支払金残高証明書発行についての認定事実
一、栗栖事件における第二審証人梅林襄に対する訊問調書中同証人の供述記載
一、同事件における第二審証人植田五郎に対する訊問調書中同証人の供述記載
一、同事件における第二審証人後藤三郎に対する訊問調書中同証人の供述記載
一、自昭和二十二年四月一日至昭和二十三年三月三十一日借入金各金融機関別調書(梅林検事記録全三冊の一中一八四丁以下)中の記載
一、前記大蔵省管理局長名義の証明書(前同押号の(ハ)の三一一七)の存在及び記載
を総合すると、
梅林土木は、右証明書によつては金融を得ることができなかつたため、同会社においては、住友銀行大分支店の保証を得て昭和二十二年十二月三十日及び同月三十一日の両日にわたり大分合同銀行より合計金三千七百万円を借り受けることができたものであり、この借入れに成功したのは、梅林土木の依頼によりその取引銀行である住友銀行大分支店が大分合同銀行に対し、梅林土木のために金融せられたい旨の申入れをした結果、大分合同銀行においてもこれを諒とし、住友銀行大分支店の保証の下に前記のように梅林土木に対し貸付を行つたものであること、従つて、梅林土木が大分合同銀行から右金三千七百万円の融資を受けたことと右証明書とは無関係であり、また、右証明書発行とこれに関する芦田被告人の取計いとは無関係であつたことがそれぞれ認められるのである。以上の事実関係によれば、梅林土木としては、右融資と右証明書の発行とが無関係であつたことを充分了解していたものと解すべきである。
それ故、右聴取書第三項中芦田被告人の世話になつたという実質は、極めて軽微なものに過ぎないものといわなければならない。
そして、以上の各事実と前記第五章第七節の(B)において認定した梅林時雄に対する検事の昭和二十三年十二月三十一日付聴取書が作成された当時、東京拘置所に勾留されて検事の取調を受けていた同人が来るべき衆議院議員選挙に出馬するため、一日も早く保釈を得て出所したいという念願を持ち、また、自己の健康についてもある程度憂慮していた事実とを対比して考えてみると、右聴取書第三項中、本件金五十万円には、政治資金の趣旨のほか、芦田被告人より受けた尽力に対する感謝等の趣旨が含まれているという前記供述部分も既に判断した同聴取書第二項の場合と同様、同人が右のような焦躁、不安な気持から検事の取調に対し迎合的な態度をとつた結果によるものと解されるのである。
従つて、右第三項の記載は措信することができないから、これを本件金五十万円が検事主張のような賄賂であることの証拠とすることはできない。
第四節 梅林時雄よりの右各金員授受の趣旨に関する検事の主張に対する判断
検事は、芦田被告人が梅林時雄より昭和二十二年十二月及び昭和二十三年一、二月に、それぞれ、金五十万円宛を受領したことについて、次のとおり主張している。即ち、
かりに、芦田被告人の収賄の犯意の点に関する直接証拠が存在しないとしても、賄賂罪における犯人の主観的認識に関する事項については、犯人の自供以外に直接これを認める証拠が存在しないことが一般であつて、犯人が否認する以上、直接証拠が存在しないのがむしろ当然であり、この点に関する立証はもつぱら傍証によらなければならないのである。そして、傍証の主要なるものとしては、
(1) 本件各金員は梅林時雄より、芦田被告人の尽力に対する謝礼の趣旨を含めて交付せられたものであることの証拠が存すること
(2) 純粋の政治献金であると認識することについて特段の理由がないこと
(3) 賄賂は、政治献金あるいは旅費等いかなる名義をもつて提供されたにもせよ、その実質的趣旨は授受当時の客観的事情により判断すべきであつて、表面上の名義により左右せらるべきではないこと、たとえば芦田被告人が
(イ) 梅林時雄及び綾部被告人と梅林土木との関係を知つていたこと
(ロ) 梅林時雄及び綾部被告人より梅林土木等に対する政府支払促進の請託を屡々受けたこと
(ハ) 綾部被告人より梅林土木に対する政府支払金残高証明書発行につき尽力の請託を受けたこと
(ニ) これらの請託を容認し又はその実現に尽力したこと
(ホ) 請託を受けた事項が概ね実現した直後において金員を受領したこと
(ヘ) 請託者が請託実現の利益に均霑したことを認識していたこと
(ト) 梅林時雄が党員として多額の献金をする特別の理由が存在しないこと
(チ) 梅林時雄及び綾部被告人両名よりの請託との関係上純粋の政治献金を受くべき時期でないことは極めて明瞭であること
(リ) 梅林時雄の資力の程度から判断して献金の度数及び金額が多過ぎること
(ヌ) 梅林時雄が純粋の政治献金をなすには、他に正当な手続が存在すること
(ル) 政党総裁が秘かに直接政治献金を受けるのは純粋性に欠ける虞があること
(ヲ) これより以前富永被告人より賄賂を収受したこと
(ワ) 捜査段階における供述の経過によれば、昭和二十三年一月下旬に金五十万円の供与を受けた顛末は芦田被告人に対する検事の第六回聴取書が作成された同年十二月二十八日までこれを秘匿していたこと
によつても本件各金員が賄賂であることは明らかであるというのであつて、右主張の一部については既に判断を加えていることは前に述べたとおりであるが、右主張の全部についてここに一括して説明を加えると右検事主張の
(1)については一応その証拠が存することは前示のとおりであるが、その証拠の措信できないことも前章第七節及び本章第三節第四において判断したとおりであり、
(2)については、本件各金五十万円が単なる政治献金であることは、前記認定のとおりであり、梅林時雄がこの各政治献金を芦田被告人に贈つた主たる動機は、昭和二十二年十二月十一日の金五十万円は、かねてから敬慕してその指導を仰いでいる芦田被告人が民主党総裁として九州における同党の各大会に出席するため、自己の選挙区であり、また、綾部被告人及び自己の郷里である大分県下へ出張することになつたので、その機会に平素の知遇にこたえ、併せて政界における自己の地位の向上、確保に資するため、綾部被告人と相談の上芦田被告人が右各大会に出席するための費用等の一部としてこれを同被告人に贈与することにあつたのであり、また、昭和二十三年一、二月頃の金五十万円は、片山内閣崩壊の兆が現われた当時の政治情勢に対処して芦田内閣を実現させ、併せて政界における自己の地位の向上、確保に資するため、同内閣実現のための政治資金の一助としてこれを芦田被告人に贈与するにあつたことは、それぞれ、前説明のとおりであり、この事実と芦田均に対する検事の昭和二十三年十二月二十八日付聴取書中同人の、梅林時雄から昭和二十二年五月、同年十二月及び昭和二十三年一月下旬又は二月上旬の三回にわたり、いずれも金五十万円宛合計金百五十万円を受け取つているが、これはすべて私個人に対する政治献金である、私は同君を知つて以来、同志として同君のような若い人を育て上げて党の中心となる有為の士にしたい気持から、いろいろと心配して来た、彼も私に対する信頼感から私を支持し、物質的にも私を支持してくれた旨の供述記載とを総合すると、芦田被告人は、梅林時雄の同被告人に対する平素の信頼感や、右各献金の時期等から考えてこれら右各金員は単なる政治献金であると信じてその好意を受けたものであつて、検事主張のような賄賂であると考えてこれを収受したものではないことが充分窺われるのであるから、かかる右各金員授受の際における事情は、芦田被告人が右各金五十万円を単なる政治献金であると信じた特段の理由であるといわなければならないのであり、
(3)については、本件各金員提供の名義如何によつてその賄賂性の有無を判断すべきでないことは、検事所論のとおりであるが、梅林時雄から芦田被告人に贈られた本件各金員がいずれも単なる政治献金であることは、既に認定したとおりであり、検事主張の(3)の(イ)乃至(ワ)の各事実は右認定を左右するに足りないのである。即ち、右(3)のうち(イ)乃至(ハ)の各事実が存在することは前認定のとおりであるが、(ニ)については、(ロ)の関係では、芦田被告人が綾部被告人や梅林時雄らの陳情を受け政府支払の促進に努力する旨を述べたに止まり、それ以上なんら積極的にその請託実現に努力したことがないことは、前認定のとおりであり、また、(ハ)の関係では、芦田被告人の尽力は、同被告人の職務権限に無関係であることも前認定のとおりである。ただ、芦田被告人が梅林時雄の依頼により第八軍よりの通牒が終戦連絡中央事務局に到達しているかどうかを調査した前記認定の事実は、同被告人の終連総裁としての職務権限の行使といえないことはないのであるが、同被告人のこの程度の世話は、同被告人と梅林時雄との間においては取り立てていう程でもない些細なことであつて、梅林時雄がこれに対し、特に金員を贈与して感謝の意を表わすことが当然である程特別のものではなかつたことは前説明のとおりである。また、右(3)の(ホ)乃至(ワ)の各事実中(ヲ)の芦田被告人が梅林時雄より政治献金を受ける以前既に富永被告人より金員を受けたことは前認定のとおりであるが、その金員が賄賂と認められないことも既に前認定のとおりであり、(ワ)の芦田被告人が昭和二十三年十二月二十八日まで検事に対し、梅林時雄から昭和二十三年になつてから金五十万円贈られたことを供述しなかつたことは、同被告人がその事実を秘匿していたのではなく、これを忘却していたことは前説明のとおりである。そして、その余の(ホ)(ヘ)(ト)(チ)(リ)(ヌ)(ル)の各事実は、梅林時雄より芦田被告人に贈られた合計金百万円の授受の趣旨になんら不正のものが含まれていないことは前認定のとおりであり、また、その趣旨について他より何らかの誤解を招く虞があるとしても、既に、右各金五十万円授受の趣旨について、認定した各事情を総合して考えてみると、右各金員贈与の時期は、民主党の九州における各大会の開催とか、政変とかを控えており、右各当時、党としても、総裁個人としても相当額の政治資金を必要としたことは容易に推認できることであり、また、梅林時雄にも、かかる政治資金を必要とする時期にこそ、機会ある毎に自己の資力の続く限り、直接総裁たる芦田被告人に相当額の献金をして政界における自己の地位の向上、確保に資せんとする気持があつたことが認められるのであるから右各金五十万円が世人から賄賂であるという疑を持たれるからといつて芦田被告人においてその受領を辞退すべきであつたということはできない。
従つて検事の(1)乃至(3)の主張はいずれもその理由がないものといわなければならない。
それ故、芦田被告人が昭和二十二年中梅林時雄(綾部被告人共謀)より金五十万円を収受したという公訴事実については、同被告人の行為が受託収賄罪を構成しないことはもとより、単純収賄罪をも構成しないことは、本章第二節において既に判断したところにより明らかであり、同被告人が昭和二十三年中梅林時雄より金五十万円を収受したという公訴事実についても、同被告人の右行為が収賄罪を構成しないことは、本章第三節において判断したところにより明らかであるから、結局いずれも、犯罪の証明がないものといわなければならない。
第五節 公正証書原本不実記載同行使の公訴事実に関する判断
第一総説
本公訴事実のうち、まず、外形的事実である本件不動産の所有権移転登記の事実について考察すると、
一、本件記録に綴られている
一、本件各不動産の登記簿謄本
一、昭和二十一年三月二日付山中嘉兵衛及び鉄道工業株式会社申請にかかる東京区裁判所大森出張所宛土地建物所有権移転登記申請書写
の各記載
一、証人保谷繁松の当公廷における供述
を総合すると、
本件各不動産について、昭和二十一年三月二日、東京区裁判所大森出張所に対し、登記権利者鉄道工業株式会社及び登記義務者山中嘉兵衛より山中嘉兵衛所有の右不動産を鉄道工業株式会社(以下単に鉄道工業又は会社と略称する)に同日付売買を登記原因とする所有権移転登記申請がなされ、即日同出張所受付第一〇五八号をもつて不動産登記簿の原本にその旨登記され、同所に備え付けられたことが明らかである。
しかるに、検事は、前記土地及び建物は、芦田被告人が山中嘉兵衛より買い受けたものであるにかかわらず、これを右山中より鉄道工業が買い受けたように仮装されたものであり、従つて右登記は不実のものであると主張し、これに対し芦田被告人は右不動産は自己の邸宅にするために買い受けるつもりであつたところ、その代金が高価で自己の所持金では不足であつたため、鉄道工業の取締役会長菅原通済に対し、その不足分を出して会社で買つてもらいたいと依頼するとともにその購入代金の一部として金五十万円を同人にやつてしまい、右不動産は鉄道工業においてこれを購入した上、自己がこれを会社から借り受けて居住することにしたのであるから、右不動産の買受人は鉄道工業であつて、自己はその買受人ではなく従つて本件所有権移転登記は不実のものではないといつて争つている。
そこで、まず、本件不動産の売買及び登記の経緯、本件不動産の所有権移転に関する問題とこれについての芦田被告人の認識について判断し、ついで本公訴事実の真否について判断することとする。
第二本件不動産の売買及び登記の経緯
本件不動産の売買から、前記のような所有権移転登記がなされるまでの経緯について考えると、
一、被告人芦田均及び同下河辺三史の当公廷における各供述
一、証人保谷繁松の当公廷における供述
一、原審第十回及び第十一回各公判調書中被告人芦田均の各供述記載
一、原審第九回公判調書中被告人下河辺三史の供述記載
一、原審第三十四回公判調書中証人永田雅一の供述記載
一、原審第二十九回公判調書中証人沢田幸三の供述記載
一、原審第三十一回公判調書中証人狩野近雄の供述記載
一、原審第二十九回公判調書中証人菅原通済の供述記載
一、芦田均に対する検事の昭和二十三年十二月十三日付聴取書中同人の供述記載
一、下河辺三史に対する検事の同年十一月十七日付及び同月二十七日付各聴取書中同人の各供述記載
一、永田雅一に対する検事の同月二十四日付聴取書中同人の供述記載
一、沢田幸三に対する検事の同月二十六日付聴取書中同人の供述記載
一、高山義三に対する検事の同月二十五日付各聴取書中同人の各聴取書中同人の各供述記載
一、狩野近雄に対する検事の同月十七日付及び同年十二月十五日付各聴取書中同人の各供述記載
一、狩野近雄の検事に対する昭和二十四年一月二十二日付供述調書中同人の供述記載
一、山中嘉兵衛に対する検事の昭和二十三年十二月十八日付聴取書中同人の供述記載
一、菅原通済に対する検事の昭和二十三年十二月一日付及び同月十四日付各聴取書中同人の各供述記載
一、芥川寿に対する検事の同年十一月十六日付聴取書中同人の供述記載
一、芥川寿の検事に対する昭和二十四年十二月十四日付供述調書中同人の供述記載
一、菱田友吉の検事に対する同年一月十日付供述調書中同人の供述記載
一、吉田良一の検事に対する同月十八日付供述調書中同人の供述記載
一、前記各登記簿謄本及び前記登記申請書写の各記載
を総合すれば、次の事実を認めることができる。
芦田被告人は、さきに第五章第三節第二において説明したとおり、今次の戦争中は自由主義者として、軍部等に圧迫を受け、充分な政治活動ができなかつたのである。その関係もあつて、昭和十八年秋頃から知人の鉄道工業取締役会長菅原通済所有の神奈川県鎌倉市常盤山所在の家屋を借り受けてこれに居住していたが、終戦とともに活溌な政治活動を開始し、鳩山一郎、安藤正純らとともに日本自由党の創立に参画し、昭和二十年十月幣原内閣が成立した際にはその厚生大臣に任ぜられ、東京都港区麻布広尾町所在の厚生大臣官舎に単身居住し、家族は依然前記鎌倉市常盤山の住宅に残しておいたのである。ところが昭和二十一年二月頃、芦田被告人の後援会である芦田会の会員で同会の設立発起人であつた永田雅一、高山義三らの間に、同人らが日頃尊敬する芦田被告人が内閣の一員となつて政務に尽すいしているにかかわらず、東京に住家がないのは不相当であるから、同被告人のために東京に家を所有させるために同人らにおいてその買入代金の金策をすることを申し合わせ、その金策について案を練るとともにその計画を同被告人に申し出たのであつた。
これに対し、芦田被告人は、当初は自己の本意でないとしてこれを辞退していたけれども、永田らにより、右住家は単に芦田被告人一家の住家とするに止まらず、京都在住の芦田会の会員が上京した際には、これに宿泊せしめられるように希望していることを告げられたため、芦田被告人も、快く右永田らの好意を受けることとした。そこで、同人らは、芦田会の会員有志から一人五万円乃至十万円を醵金させて五、六十万円程度の住宅を買い求める計画を立てたが、その頃芦田会の会員の一人である沢田幸三が右永田雅一に対し、前記家屋購入資金として五十万円位を出捐したい旨を申し出たので、永田雅一は同会員の高山義三と相談の上この旨を芦田被告人に取り次ぎ、同被告人の了解を得た。
一方、芦田被告人においても下河辺被告人らをして適当な家屋を物色させていたところ、たまたま、下河辺被告人がその知人狩野近雄から同人とは旧知の間柄である山中嘉兵衛の所有する前記土地家屋が売り物に出ていることを聞き及んだので、これを芦田被告人に報告した。そこで、芦田被告人らは右不動産を検分した結果、右土地家屋をその家屋に備え付けられていた洋家具、絨氈等とともに購入することとし、下河辺被告人を代理人として、売主の代理人たる右狩野近雄に対して売主の主張する代金八十万円の減額を折衝させ、その結果同月中、同人らの間で、右代金を六十五万円に減類して右土地家屋を買い受けることとし、その代金の一部は、売主の希望に従つて、いわゆる新円をもつて支払うことが約定されるに至つた。また、永田雅一も、芦田被告人に対し、前記金五十万円は既に用意ができている旨を告げるとともに、右代金から五十万円を差し引いた残金十五万円は芦田被告人自身において都合されたい旨を申し出で、同被告人もこれを承諾するに至つた。
そこで、永田はその頃沢田の手から直接金二十万円を芦田被告人に交付させ、また、残額金三十万円はその後永田において沢田より交付を受けた上、これを芦田被告人に交付したところ、間もなく売主側から代金支払の請求があつたので、下河辺被告人は芦田被告人の指示により右合計金五十万円中の金三十五万円をもつて代金の一部を支払つたが、右金五十万円は、そのとき既にその一部を使つていたため、この三十五万円を支払つたのちは、十二、三万円程度を残すに過ぎなかつた。その後、芦田被告人は、右不動産代金の不足分は菅原通済から融通を受けようと考え、下河辺被告人にもその意向を洩らすとともに、菅原通済に対し、右不動産を購入したい希望を告げて、その不足分の調達を依頼したところ、同人は、これを承諾し、鉄道工業の専務取締役芥川寿に対し、「芦田氏が不動産を購入するについて二十万円足らずの金が不足しているのでそれを出してくれといつて来ているから、会社の金のうちから自分に対する仮払か何かの形式で出しておいてやるように」との依頼をした上、芦田被告人に対し右不足分は芥川専務取締役より受領されたい旨を伝えた。その後売主側から下河辺被告人に対し各残代金支払の請求があつたので、下河辺被告人は芦田被告人に指示を仰いだところ、芦田被告人は下河辺被告人に対し、残金支払についての不足分の出金は菅原通済に依頼してその承諾を得てある旨を告げて、その金員は鉄道工業の芥川専務取締役から受領して支払に充てるように命じた。そこで下河辺被告人は芦田被告人より現金十二、三万円を受領した上、鉄道工業にその専務取締役芥川寿を訪問し、芦田被告人のために前記不足分を出金されたい旨を述べたところ、既に右のようにその金員を鉄道工業から支出するように依頼されていた芥川専務取締役は、直ちにこれを了承し、約十七、八万円を下河辺被告人に交付したので、同被告人は同月右金員をさきに芦田被告人から受領保管中の金員と合わせて合計金二十九万五千円を売主の代理人たる狩野近雄に支払い、もつて、本件不動産の売買代金六十五万円中金六十四万五千円の支払を終了した。そして、同人から売主山中嘉兵衛作成名義芦田均宛金額三十五万円及び金額二十九万五千円の領収証計二通を受け取つたのである。
ところが、その頃売主側より昭和二十一年三月三日前に本件不動産の移転登記が完了されない場合には売主の方で財産税を納付しなければならないので、右登記は同月二日までに完了できるように協力されたいという申出があり近く本件不動産について所有権移転登記申請手続がなされることになつたのであるが、その際、芦田被告人は終戦後の窮迫時代に現職の大臣が宏壮な住宅を購入してこれに居住することについての世評を顧慮し、また、本件不動産の代金中四十七、八万円は芦田会々員右沢田幸三の出捐した金五十万円中から支払つたものであり、残金十七、八万円は鉄道工業の支出にかかるもので、自己が独力で調達したものは全然含まれず、かかる金員によつて入手した不動産を自己のものとして登記し、これを子孫に伝えることは自己の信念にもとることであるばかりでなく、本件不動産の所有権移転登記は、前記のように、昭和二十一年三月二日までに完了しなければならない情勢になつていて、登記申請の手続に要する諸般の支払をなした上、登記に伴う公租公課を納付しなければならず、また将来、財産税法が制定施行されるようになれば、財産の所有者である個人に対しては、その価格の二割以上の累進率による財産税が賦課されることが予想されていたので、以上の支出に備えて相当多額の現金を用意したり、鉄道工業より出捐せしめた金十七、八万円を返済したりすることは当時の自己の財力をもつてしては困難であるから、本件不動産は、自己が政治生活をする間はこれに居住して利用し得れば足ると考えるに至り、本件不動産について鉄道工業から借り受けた右金十七、八万円の返済、将来賦課されることが予想される多額の財産税の納付その他一切の財産的負担を免れるためには、本件不動産を鉄道工業に購入せしめ、かつ、同会社名義をもつて所有権移転登記を受けしめ、自己は右邸宅に居住させてもらうことが最善の方法であると考えるに至つた。そこで、芦田被告人は、菅原通済に対し、本件不動産について「貴下が不足金を出してこれを買つて登記しておいてくれ、その代り当分自分が政治生活をしている間はそこに住まわせてくれ」との申入れをしたのであるが、菅原通済は、右のような芦田被告人の真意を解することができず本件不動産を同被告人の所有名義で登記することは差支があるものと推察してこれを承諾した上、同被告人に対し「不動産は鉄道工業の所有名義に登記手続をするつもりであるが、その手続については、鉄道工業の専務取締役である芥川寿に命じておくから同人に連絡して打ち合わせられたい」と告げた。この菅原の返答を聞いた芦田被告人は、下河辺被告人に対し、極めて簡単に「不動産は菅原に買つてもらうことにしたから鉄道工業へ行つて手続を進めてくれるように」という指示をした。ところが、下河辺被告人は、芦田被告人の真意は、当時世間において住宅開放問題が喧伝されており、本件不動産を買い受けてもこれを他人に開放しなければならなくなることを恐れた結果、不動産の所有権は同被告人に留保したまま、ただその所有名義のみを鉄道工業名義に登記することを依頼し、その承諾を得ているから鉄道工業に赴いて専務取締役芥川寿と打ち合わせた上、その手続を進めるようにということにあるものと考え売主の代人である狩野近雄に対し、鉄道工業の了解を得ているから従前の山中嘉兵衛と芦田均との間の不動産売買契約を山中嘉兵衛より鉄道工業に対し前と同一の条件をもつて右不動産を売り渡す旨の契約に変更されたい旨を申し入れ、右狩野の承諾を得た上、芥川専務取締役に対し、前記不動産の買主を鉄道工業とする所有権移転登記申請手続をされたい旨の依頼をしたのであるが、同人も菅原通済と同様に芦田被告人の真意は、本件不動産の所有権を同被告人の手中に留保したままその登記名義のみを鉄道工業に変更するにあるものと解して手続を進めることとなつた。そこで、下河辺被告人は、その頃前記狩野近雄と相談の上、三井信託株式会社において同会社不動産部売買課主任保谷繁松に対し、前記売買による右不動産の所有権移転登記申請手続を依頼してその承諾を得、その後数日中に右登記申請手続に必要な関係書類や費用が右保谷の手許に届けられたので、同人は同年三月一日頃同都大田区内の東京区裁判所大森出張所構内の司法書士菱田友吉の事務所に至り、菱田に右関係書類一切を交付して右登記申請書、不動産売渡証等の作成を依頼するとともに登録税の予納等右登記申請手続に要する準備を完了した上、翌三月二日右菱田友吉より右書類一切を右出張所に提出し、登記官吏をして即日同出張所受付第一〇五八号をもつて登記簿の原本に右不動産の売買による所有権移転を登記する旨の記載をなさしめるに至つたものである。
第三本件不動産の所有権移転に関する問題とこれについての芦田被告人の認識
まず、本件不動産の売買契約の当事者、その契約成立の時期及び本件不動産の所有権移転の時期について一考してみると、前記第二の事実認定に従えば、本件不動産の売買契約は、当初芦田被告人の代理人である下河辺被告人とその所有者山中嘉兵衛の代理人である狩野近雄との間で、芦田被告人が山中嘉兵衛よりこれを代金六十五万円で買い受ける旨の約定をしたときに成立したものと認むべきであるから、本件不動産の売買契約の当初の当事者は、売主である山中嘉兵衛と買主である芦田被告人の二人であり、また、売買契約成立の時期は、下河辺被告人と狩野近雄との間で右のような約定をした昭和二十一年二月中であるというべきである。そして、民法の規定に従えば、特定物の売買においては、その目的物の所有権は、特段の定をしない限り、売買契約の成立と同時に売主から買主に移転するものと解すべきであつて、本件不動産の売買については、その所有権移転の時期やその条件等についてなんら特段の定がなかつたことが、前記第二、に掲記した各証拠上明らかであるから、特定物たる本件不動産の売買においては、下河辺被告人と狩野近雄との間で右の約定をした昭和二十一年二月中に売主である山中嘉兵衛から買主である芦田被告人に移転したものと認めるのが相当である。
しかし、前記第二の事実認定によれば、本件不動産につき売買による所有権移転登記の申請がされた際、芦田被告人が本件不動産の所有権が既に自己に移転し、自己がその所有権者であると認識していたと速断することは早計たるを免れないように思われる。そこで、右の点について考察すると、前記第二で認定した事実を基礎とし、更に、右第二に掲記した各証拠、ことに、
一、芦田被告人の当公廷における供述
一、原審第十一回公判調書中芦田被告人の供述記載
一、芦田被告人に対する検事の昭和二十三年十二月十三日付聴取書中同人の供述記載
を総合して、判断を加えれば左のとおりである。
本件不動産の売買契約が成立し、その代金を支払つた当時芦田被告人は、不動産の売買契約に基く所有権の移転は売主から買主に対しその所有権を移転する旨の所有権移転登記が完了して初めてその効力を生ずるのであつて、未だその所有権を自己に移転する旨の登記がされていないのであるから、その不動産の所有権は、依然として売主である山中嘉兵衛の手中にあるものと解していたところ、その後前記第二で認定したような事情から、自己が本件不動産の所有権を取得することによつて生ずる一切の財産的負担から免れ、しかも、政治生活をしている間右不動産を利用することができるようにするがためには、買主の地位を自己から鉄道工業に変更し、鉄道工業に本件不動産の所有権を取得させることが最善の方法であると考え、そのためには、山中嘉兵衛自己及び自己に代つて新たに買主となる鉄道工業の三者が協議の上、右売買契約による買主の地位を自己から鉄道工業に変更する旨の合意をしたのち、売主である山中嘉兵衛から直接新たに買主となつた鉄道工業に所有権移転の登記手続をすれば足るものと考えるに至り、その後の経過は、前記第二で認定しているとおり、まず、芦田被告人は、菅原通済に自己の意のあるところを伝え、菅原通済は、本件不動産を鉄道工業の所有名義に移転する登記手続の申請をすることを承諾し、その処理は鉄道工業の専務取締役である芥川寿と打ち合わせられたい旨を答えたので、芦田被告人は、更に、下河辺被告人に対し、本件不動産は菅原通済に買つてもらうことにしたから鉄道工業に行き手続を進めるようにと命じ、下河辺被告人は、売主の代理人である狩野近雄に対し、鉄道工業の了解を得ているから、従前の山中嘉兵衛と芦田被告人との間の売買契約を山中嘉兵衛から鉄道工業に対し前と同一条件をもつて本件不動産を売り渡す旨の契約に変更されたいと申し入れて、右狩野近雄の承諾を得、なお、芥川寿にも、本件不動産の買主を鉄道工業とする所有権移転の登記手続の申請をすることを依頼しその承諾を得た上、昭和二十一年三月二日本件不動産につき売買による所有権移転の登記がされるに至つたのである。
しかし、前記第二、で認定しているとおり、芦田被告人は、菅原通済に対し、自己の意のあるところを伝えるにあたり、その表現に充分でないものがあつたため、菅原通済は、芦田被告人の真意を解することができず、本件不動産につき鉄道工業にその所有権名義を移転する登記手続の申請をすることを承諾はしたが、本件不動産の所有権は依然として芦田被告人においてこれを保留しているものと解しており、また、菅原通済から芦田被告人の意向を伝えられた芥川寿も、芦田被告人の真意を解せずに、所有権移転の登記手続の申請までの処理をしたものといわなければならない。
右のようであつたとすれば、下河辺被告人が山中嘉兵衛の代理人である狩野近雄と折衝して本件不動産の買主を芦田被告人から鉄道工業に変更することの承諾を得たとしても、芦田被告人の意図したような山中嘉兵衛、芦田被告人及び鉄道工業の三者間で買主を芦田被告人から鉄道工業に変更する旨の合意は結局成立せず、もとより、その合意に基く効力も発生しなかつたものというべく、従つて、当初の売買契約はその効力を失うことなく、芦田被告人に本件不動産の所有権が移転した状態は、山中嘉兵衛から鉄道工業への所有権移転の登記手続の申請がされる段階に至つても、なんらの変更を受けなかつたものといわなければならない。
しかし、芦田被告人は、右のような事実の推移については、その詳細を知らず、買主の変更、所有権移転登記手続の申請等は、すべて自己の意図したとおりに取り運ばれ、本件不動産につき所有権移転登記手続の申請がされた際には、自己は既に買主たる地位から脱退し、鉄道工業が代つてその買主となつたものと考えており、従つて本件不動産について山中嘉兵衛から鉄道工業への所有権移転登記手続の申請は、所有権移転の実際に符合するものと信じ、なんら違法あるいは不当のものと考えていなかつたものと認められるのである。
第四検事の主張に対する判断
検事は、本件不動産が鉄道工業名義に登記された事情として、芦田被告人は、
(一) 現職の大臣がその住宅を購入することに対する世評を顧慮したため、
(二) 財産税その他の課税を免れるため、
(三) 連合国占領軍よりの接収、または住宅緊急措置令に基く大邸宅開放の対象となることを避けようとしたため、
前記のような、事実に即しない登記をなしたのである旨主張し、かつ、右主張を維持するための証拠を挙示しているのであるが、芦田被告人は本件不動産の所有権が法律上一たん自己に移転したことに気付かず、前記のように山中嘉兵衛、自己及び鉄道工業の三者が協議の上、買主の地位を自己より鉄道工業に変更する旨の合意をなしたのち、売主である山中嘉兵衛から買主である鉄道工業に所有権移転の登記手続をすることとすれば所有権は山中嘉兵衛より直接鉄道工業に移転するものと誤信していたことは前認定のとおりであるから、本件不動産が鉄道工業の所有名義に登記されるに至つた原因が主として芦田被告人の経済上の理由に基くものであり、従つて、自己が右不動産を取得しないことによつて右(二)掲記の財産税その他の課税を避けることもその有力な理由であつたことは前認定のとおりであり、また、芦田被告人が右(一)掲記のように現職の大臣としてその住宅を購入してこれに居住することに対する世評を顧慮したことも、さきに認定したところであり、更に右(三)掲記のように接収または住宅緊急措置令に基く大邸宅開放の対象となることを避けようという気持がないではなかつたことも、前記菅原通済に対する検事の昭和二十三年十二月一日付聴取書中の同人の供述記載及び下河辺三史に対する検事の同年十一月二十七日付聴取書中の同人の供述記載によつて窺いうるのであるが、かかる事実があつたからといつて右登記申請手続をなすにあたり芦田被告人が検事の主張するような虚偽の申請をしたものと断ずることはできないのである。
それ故、右登記手続にあたり芦田被告人らよりなされた登記申請の内容が虚偽であり、従つて、その申請に基いてなされた登記も、また、不実であることは、まことに検事所論のとおりであるが、右申請の際芦田被告人においてその内容が本件不動産所有権移転の実体に即した真実のものであると誤信していたものであることは前認定のとおりであつて、右誤信は芦田被告人が本件不動産所有権の帰属に関する民事法規の解釈を誤つたことによるものである。従つて、右誤信に基いてなされた本件所有権移転登記申請行為は、非刑罰法規の解釈を誤つたことによるものであつて、いわゆる事実の錯誤に該当しいわゆる法律の錯誤に当るものとはいえないから、右の錯誤は、本件公正証書原本不実記載同行使罪の故意を阻却するものというべきである。
よつて、芦田被告人の本件行為は公正証書原本不実記載同行使罪を構成しないことが明らかであるから、同被告人に対する本公訴事実は、結局犯罪の証明がないものといわなければならない。
第七章 被告人摘河辺三史に対する公訴事実の判断
第一節 収賄幇助の公訴事実に関する判断
本件の正犯の関係に立つ芦田被告人に対する収賄の公訴事実については、同被告人の行為が収賄罪を構成せず、結局、犯罪の証明がないことは、前章第一節の判示によつて明らかであるから、下河辺被告人の本件行為は、収賄幇助罪を構成しないものであつて、同被告人に対する本公訴事実は、結局、犯罪の証明がないものといわなければならない。
第二節 富永被告人より洋服生地一着分を収賄したとの公訴事実に関する判断
本公訴事実に対応する富永被告人に対する贈賄の公訴事実について、本件洋服生地一着分の贈与が、下河辺被告人の職務に関してなされたものではないとの理由により、贈与者たる富永被告人の行為は贈賄罪を構成せず、同被告人に対する公訴事実については、結局、犯罪の証明がないことは、第四章において判断したとおりであるから、下河辺被告人の本件行為も収賄罪を構成しないものであつて、同被告人に対する本公訴事実も、結局、犯罪の証明がないものといわなければならない。
第八章 法令の摘用
以上第二章乃至第七章において判断したとおり、被告人らに対する本件各公訴事実は、犯罪の証明がないものであるから、刑事訴訟法施行法第二条、旧刑事訴訟法第三百六十二条後段により、被告人らに対しいずれも、無罪の言渡をすべきものである。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判長判事 下村三郎 判事 高野重秋 判事 真野英一)
<以下省略>